文學界新人賞『こどもの指につつかれる』小祝百々子

なくした右腕が語る、という設定ではありながら厳密な右腕視点を貫くほどでもなく、神視点というか持ち主の内面語りと区別なくなってきたりしていて、それは技術上の難点というよりは分かっていてやっていることなんだろうけれど、読む方としては読む手がとまったりもする。そして思うのだった、こんな設定が必要だったのうか、と。
ただ手を止めさせるという意味では、「生きる」という事に関して深い、読み手につきささる洞察もみられたし、ピアノの演奏シーンの描写や涙を流す描写などでは右手という設定の助けがいくらかでも働いているのか非凡な、光るものを持っている感もある。相当な力量を感じさせ受賞は納得できるものだった。
と書いたところで少しだけ文句に戻らせてもらえば、ちょっと主人公(といっても右手ではなくその持ち主)が老人にしては格好良すぎるかなという点は不満で、たぶん男性作家ではこういう感じにならないだろうし、これで一部の選考委員のいうような老境小説の要素とかいっても笑わせるなという。あとは、弟の存在がやや小説に溶け込んでいない感があった点が難かな。

『河童日誌』鈴木善徳

非リアリズムものだが、基本の枠組みでは誰もが思いつかないというほど突拍子もないシチュエーションでもなく、それはデビュー作でも同じなのだが、その仔細においてはややデビュー作のほうが上回る感じか(そりゃまあジジイの人魚にはかなう訳ないんだが)。さらに言うとすこし残念なのは、これがヒューマンなちょっといい話というか、ありきたりな一般的な感情に着地してしまっている点。新人らしい気負った「工夫」を施して挙句スベってしまうとかそういう事はないので、それは好感もてるのだが。こういうのを読むとついいつも書いてしまうのだが、まとまりの良さよりも余剰、過剰がほしい。

『東武東上線のポルトガル風スープ』荻世いをら

この作家について、以前はけっこう文句言ったように思うが、ここまで徹底していると文句もない。語りのうまさ、面白さで読ませる小説で、そういう意味ではいかにも純文学らしい小説で、全く合格でグッドな作品。とくに冒頭からしばらく続くどうでも良さと回りくどさは味わい深い。なのだが、どうもその枠組み(文学らしい文学)のなかでのバリエーション的なところがあって、この人ならではの世界という強烈さまであと一息で届いていない印象は正直ある。それを獲得するには、ひょっとしたらセンスや聡明さがこの作家にはありすぎるのかもしれない。それは良い風にとれば、このさき色んなふうに変われる可能性もある、楽しめる、ということだ。

『文學界』2012.5〜2012.12 まとめて

狭い道で後ろから車が抜くに抜けず渋滞になりかかっているのに、マイペースで道交法上車両でございますとばかりにノロノロ走り続ける自転車乗りが、事故死だろうが病死だろうが工作員による拉致だろうがとにかくこの世から消えて居なくなることを毎日神様に願っています。


たぶんでも、これだけ路上で迷惑かけて平気なのは、ガソリンも消費せずエコな乗り物に乗っている私は正しいとか思っているんでしょうね。
まったくもって、正しいってのは始末に負えません。正しさこそが争いのもとなんだと、プラグマティズムふうに言ってみたくなります。
で、昨今とりわけ正しい顔をしている脱原発ですが(しつこいな私も)、再稼働の動きに負けるなとか大江健三郎氏が叫んでいたようですが、私は彼のように東京の一等地に居を構えるような層の人間ではないので、一刻も早い再稼働を願っているのであります。がんばれ東京電力。そういえば最近は小泉純一郎脱原発とか言ってますね。あれを変節とかあるいは節操のなさとか見る向きもあるでしょうが、痛みが必要とかいって貧乏人を切り捨ててきた人ですから、じつは一貫してるんですよお。
正しさのなかには、ときどき原発はコスト的にも合わないとかいう合理論者もいて、それにコロリと騙される人もいますけど、国内での支払い(公共事業という景気刺激)になる可能性のある使用済み燃料の処理コストと、ひたすら持ちだしで国外に出ていく化石燃料購入コストって、同じコストとして議論すべきなんでしょうか。


TPPについてはそれほど極端ではないですが、文系の人は反対論者が多いようで、TPPそのものについては反中国的なブロック化の性格もあったりするので私も何とも・・・ですが、ことグローバリズムという点では、相変わらず内田樹みたいな右翼の言うことは気にするなと、せんだってはあのマララさんのニュースを見て再度思ったところです。彼女の言うようなことが正当性を帯びるのだって、グローバリズムの浸透という下部構造が引っ張る面が大きいと私は思っていて、世界的な経済活動の活発化は制度の統一化・平準化を促すし、それはどうしたって価値観の統一化をも促すんではないか、と。
グローバル化というと直ちに大企業による搾取とイメージする単純脳の人もいるかもしれないですが、経済がグローバル化していなかった17〜19世紀の搾取のほうがよほど酷かったわけで。


しかし、ずっと最近ここで同じことを書いてませんか、このワタクシって奴は・・・・・・。

『人間性の宝石 茂林健二郎』木下古栗

冒頭から無茶苦茶な理屈で自分をコントロールしようとする人物が出てくるのだが、木下氏、さいきんかなりマジな気がするのは私だけだろうか。それとも、最近やっとこさ晴れて国会議員のバッジをつけることが出来たれいの和民の創業者に関する木下氏の厳しいエッセイを読んだせいで、それと私が結びつけたくなっているだけか。
いっけんいつものドタバタ劇にみえて、ここでいじられるのはOLでありあの脳科学者であり、めずらしく前の作品と対象が連続していることを考えると私の思いも全く的外れとも思えないのだが。
少しドキュメンタリーふうな今回の作風だが、たとえばNHKやなんかでスガシカオかなんかの歌が流れるドキュメンタリーを思い出したりもする。ワタミだけではない。堂々とした一流企業でさえ、追い出し部屋みたいなものが存在するような世界において、たった一握りの成功者を誰もがちょっとしたことで成れるような明るい物語に仕立て上げ、それががゴールデンタイムに流れているこの醜悪さ。まったく何がサラメシだ!(これは別の番組だけど)メシなんて働く者にとっておおよそエサでしかなく、一日のうちで昼飯が何より楽しみとかいう事なんて、バカみたいに悲しい事なのに。おっと私も怒りが。
従来から紋切り型の物言いが流通する世界にたいして異を唱えるのが小説家の定めみたいなものだったが、それに異を唱える事がむなしくなるくらい定着してしまい、それに、美しかったり練りに練った言葉で異を唱えるのが結局無力だったりして、また、ワタミ社長の「自殺した彼女を想い学校を」みたいな紋切り型を超越した物言いがなされているとすれば、木下氏のような無茶苦茶さで対抗せざるを得ないのではないか。そんなこともふと思ったりする。アベみたいな歴史修正主義者がニコニコと明るい未来を語るような世界にどうやって対抗したらいいのか。

『あさぎり』上村渉

中盤は、気の置けない仲間に囲まれて弁当屋やって、中学生も更生できそうになって、みたいな心温まる雰囲気になりつつも、単純なハッピーエンドにはしていない。ものすごく強引だが、それはこの地の場がそうさせている、登場人物たちを虚無に追い込んでいるのではないか。そのくらい、駿河地方の、日本の基幹産業が集中していて街道沿いなんかみれば他の地方都市よりは十分豊かに見えつつも、都会とは決して言えない「すさみ」をはらんだ、場の雰囲気を小説内に流し込むのに成功しているように思う。この作家に対する評価は私的な好みが大きく作用していることは認めます。書き続けてほしい。

『俺の革命』墨谷渉

この作家は上記の日和聡子の比ではないこの人ならではの作風、世界をもってずーっとやってきていて、もうハズすことがない。にっちもさっちもいかない、あえてがんじがらめに不自由な状況に徹底的に自己を追い込むこと。人間性をなくした世界へ、あえて自ら人間性をなくして立ち向かう強固な倫理がある。たとえば「絆」みたいな曖昧な言葉で肝心の構造が覆い隠されてしまうならば、すべて数値で表すような徹底した公平な世界を希求する・・・・・・。必読の作家と思う。