『文學界』2012.5〜2012.12 まとめて

狭い道で後ろから車が抜くに抜けず渋滞になりかかっているのに、マイペースで道交法上車両でございますとばかりにノロノロ走り続ける自転車乗りが、事故死だろうが病死だろうが工作員による拉致だろうがとにかくこの世から消えて居なくなることを毎日神様に願っています。


たぶんでも、これだけ路上で迷惑かけて平気なのは、ガソリンも消費せずエコな乗り物に乗っている私は正しいとか思っているんでしょうね。
まったくもって、正しいってのは始末に負えません。正しさこそが争いのもとなんだと、プラグマティズムふうに言ってみたくなります。
で、昨今とりわけ正しい顔をしている脱原発ですが(しつこいな私も)、再稼働の動きに負けるなとか大江健三郎氏が叫んでいたようですが、私は彼のように東京の一等地に居を構えるような層の人間ではないので、一刻も早い再稼働を願っているのであります。がんばれ東京電力。そういえば最近は小泉純一郎脱原発とか言ってますね。あれを変節とかあるいは節操のなさとか見る向きもあるでしょうが、痛みが必要とかいって貧乏人を切り捨ててきた人ですから、じつは一貫してるんですよお。
正しさのなかには、ときどき原発はコスト的にも合わないとかいう合理論者もいて、それにコロリと騙される人もいますけど、国内での支払い(公共事業という景気刺激)になる可能性のある使用済み燃料の処理コストと、ひたすら持ちだしで国外に出ていく化石燃料購入コストって、同じコストとして議論すべきなんでしょうか。


TPPについてはそれほど極端ではないですが、文系の人は反対論者が多いようで、TPPそのものについては反中国的なブロック化の性格もあったりするので私も何とも・・・ですが、ことグローバリズムという点では、相変わらず内田樹みたいな右翼の言うことは気にするなと、せんだってはあのマララさんのニュースを見て再度思ったところです。彼女の言うようなことが正当性を帯びるのだって、グローバリズムの浸透という下部構造が引っ張る面が大きいと私は思っていて、世界的な経済活動の活発化は制度の統一化・平準化を促すし、それはどうしたって価値観の統一化をも促すんではないか、と。
グローバル化というと直ちに大企業による搾取とイメージする単純脳の人もいるかもしれないですが、経済がグローバル化していなかった17〜19世紀の搾取のほうがよほど酷かったわけで。


しかし、ずっと最近ここで同じことを書いてませんか、このワタクシって奴は・・・・・・。