『新潮』2008.1新年号から

新しい号が発売されましたが(そして群像も新潮もサイト更新してませんが←あ人の事言えないか)、古い号で読んでいながら書いてないのがあったので、それから書きます。


ところで今ネットで見る限りでは今月はというか最新の2月号のなかでは『すばる』が一番面白そうですね。大江健三郎が例の沖縄ノート裁判について書いていて大注目です。たしかまだ結審していないはずなのですが、どこまで踏み込んで書いているのでしょうか。


あ、それから、芥川賞候補作も発表されたようです。津村記久子さん選ばれました!!!
まだ候補段階で喜んでどうする、という気もしますが嬉しいです。世間での評価以上に評価してきたつもりなので。
私があまり評価しない人も今回候補には選ばれてますが、私があまり評価しない人で名前の無い人もいたりして、まあまあ、という所でしょうか。
津村さんにとって欲しいですが、私の予想は川上未映子◎。

『グ、ア、ム』本谷有希子

やっぱ読んでいて楽しいし、次から次へとページをめくりたくなるので文字通り一気に読めるし、そういうのも小説のひとつの重要な要素だとは思う。一度読み出すと止まらなくさせる力を、持っているのかいないのか。世事を忘れて没入させられるかどうか。
それが本谷有希子の作品に健在だったのは安心ではあるが、正直前作(『生きているだけで、愛』)からは若干後退気味だろうか。姉妹の葛藤を描いたせいなのか、印象としては『腑抜けども〜』の世界に戻ったような感じ。姉=上昇志向、妹=反発という構図もそのままだし。むろん、文章のひとつひとつを詳細にみれば変わっては(上手くなっては)いるんだろうし、あれに比べれば焦点はしっかりしているのだけれど。
姉が途中でさらりと改心してしまうあたりをみてもやはり妹からみた世界という感じになっているのだが、それは仕方ないとしても、前作での主人公の恋人である不器用な男性のような魅力ある第三者が今回はいない。姉妹それぞれが関係する男についても、また両親についても、表面的なままだ。父親の存在がなかなかいいのだが、彼の動機がなんとも不透明すぎるように感じた。

『aqua』川上弘美

川上弘美の作風ってこんなんだっけ、というくらい普通に読めたが、内容も淡々としたもの。階層化社会もどこへやら、中流家庭の2人の女の子の思春期の模様が描かれる。別段、それが悪いというのではない。まだまだ大部分が中流幻想なわけだし。
母親の自殺未遂という事態に、この程度のショックに留まる少女がいても不思議ではないが、他の多くの小説内出来事もありがちな母娘の相克であり、ありがちな性への目覚めであり、とくにこれを読んで何かを語ろうという気にはならない。同級生たちへの違和の部分がちょっと広がりを感じさせる部分はあったのだが。
『aqua』という題名も思わせぶりながら、登場人物の名前以外に水に関する雰囲気が漂うわけでもない。私の感受性ではキャッチできないだけなんだろう、きっと。

『ばかもの』絲山秋子

ときおり見かけるエッセイが結構面白いときがあるので期待したが、ただ男女がセックスするだけで終わってしまったような印象で、次回が少しも楽しみにならない。そのセックスの描写もとくに面白いものがあるわけでもない。

『乳歯』吉田修一

文学では引きこもりやいわゆるニートが描かれることが多いのだが、ここで描かれているのは日雇いの若者であり、真に下層といえる人たちである。その纏う悲しみ、いや悲しみにもならない空疎感は比べ物にならない。引きこもりもニートも余裕があるからこそなのだ、という事に改めて気付かされる。
どこまで現実相似なのかは分からないが、現実感だけはやたらと感じた。日雇いの若者は孤立していないが、ただ孤立していないだけで、べつに意義のある連帯を築いているわけではない。そういう横の関係が、友人にしろ同棲相手にしろやたらと空虚なのに比べて、世代的には上下に属する子供や近所の中年女性に対しては少し変質の気配がある。ただやはり気配だけであって、この救われの無さ感は心に迫るものがあり、私のなかでの吉田修一評価が少し上がった。

『忌まわしき湖の畔で』中原昌也

気づいてる人も多いのですが新年号の文芸誌すべてに中原昌也が書いている。この作品はけっこう長いのだが、ずいぶん洗練されたというか、中原昌也、文章こんなに上手かったっけ、という具合になっている。ただ馬鹿らしいだけでなく笑えるものにまでは洗練されてきた感じなのだ。
それにしてもここまで書けるのなら、この人間の壊れた感じをもっと統一的なストーリーのもとに描けば、まさしく初期の阿部和重みたいな感じになるのではないか。もっとも中原氏にはきっとそこまで構築的なものを作る気はないんだろうけど。

『高畠素之の亡霊』佐藤優

文學界』での連載は、過去の出来事の比重が高いので楽しめるが、今回は序章ではあるが、『新潮』ではもっと評論寄りになりそうな気配(過去の出来事だったら文學界と重なっちまうだろうし)。そういう意味でさすがに佐藤優に、政治思想だの宗教だの語ってもらっても、あまり読む気がしないというか。柄谷行人がなぜ佐藤優を評価しているのかを知るのにはいい機会なのだろうか。

『四方田犬彦の月に吠える』四方田犬彦

連合赤軍についてこの分量で書くのなら、もっと面白い視点からの切り込みがあるかと期待したのだが、それほどでもない。とくに、連合赤軍について今まで撮られた、読んだだけでたいして重要でない作品だろうなあというものまでその紹介を書いてるのは、四方田氏の守備範囲の広さを示すためのものなのかは知らないが、読む方としては余計な部分を読まされている感じだ。
あの事件を映像で振り返ることの重要性もいまいちよく分からない。あの事件を重く見るひとはすでに書物などでより深く知っていて、自分の頭のなかで何度も現場を描いているのではないか。若松氏の世界もそれらの世界と並行にすぎないのではないかと思うのだが、それ以上のものがあるとする説得力を文章で出すのは難しいことだと思う。少なくともこれを読んで、当該作品を見ようとまでは思わなかった。

特別原稿『「善意」と「善行」』水村早苗

身勝手であることが却って結果としてある人に生きる目的を思い起こさせた話を中心に。配慮してしまうことが逆の結果を惹起することをどう捉えたらいいのか、つまりいわゆる深謀遠慮な行動の問題とか、いろいろ感じ、考えてしまった。それにしても深謀以上に、ときに無償で善い事を人はしてしまうのに、どうしてまたときに自分がそれによってたいした利益を得るわけでもない悪意を抱いてしまうのか。