『乳歯』吉田修一

文学では引きこもりやいわゆるニートが描かれることが多いのだが、ここで描かれているのは日雇いの若者であり、真に下層といえる人たちである。その纏う悲しみ、いや悲しみにもならない空疎感は比べ物にならない。引きこもりもニートも余裕があるからこそなのだ、という事に改めて気付かされる。
どこまで現実相似なのかは分からないが、現実感だけはやたらと感じた。日雇いの若者は孤立していないが、ただ孤立していないだけで、べつに意義のある連帯を築いているわけではない。そういう横の関係が、友人にしろ同棲相手にしろやたらと空虚なのに比べて、世代的には上下に属する子供や近所の中年女性に対しては少し変質の気配がある。ただやはり気配だけであって、この救われの無さ感は心に迫るものがあり、私のなかでの吉田修一評価が少し上がった。