『群像』 2009.12 読切作品

COP15が開かれたのが、この時期の北半球というのは何か意図的なものでもあるのか、と思ってしまうくらい寒くなりましたね。
しかしこれでも、自分が歳のせいで寒さに弱くなっただけで、昔はもっと寒かったような記憶があります。私が学校に内緒でバイクに乗り始めた頃は、真冬ともなるとヘルメットだけでは頭が寒くて、目と鼻だけ露出するようなマスクを頭からすっぽりかぶってから、ヘルメットをしていました。手なんかはグローブをしていても30分も走れば、クラッチを握るのが辛いくらいで。
そういえば、3ない運動というのは今も続いているのでしょうか?
私の県も高校生は原則禁止でしたから、学校の創立記念日とかで平日休みの日は、試験場でも警戒していたりして、受付で職業とか聞かれたような気がします。ただアルバイトです、とでも言えば済んだんですけどね。このへんが縦割り行政の良いところです。自分の管轄以外の規制とかは基本的に知らんぷり、という。で、前の日に買った問題集を何回か読んでいたら、まったくそのままの形で出てくるわけで、法規を一から読まなくても余裕で合格なのでした。県が規制していても私の通っていた学校はわりと緩めで、そもそも学校自体に不良生徒が少ないと、私みたいな不良は、バイクありアルバイトありと結構自由に振舞えましたね。


COP15のことを書いて思い出したのですが、アフリカとかでは野生動物保護区とか定められていて、開発とかすごく制限されているんですけど、今までさんざん自然を作り変えてきた先進国が、そういう制限を後進国に課しているのが、どうにもスッキリしないですね。半分ボランティアでやっている自然大好きな白人の人とかが、そういう保護区で頑張っていて、たんなる仕事上の義務という以上にものすごく一所懸命なんですけど、なんかあまり素直に共感できないんですよね。

『カルテ』墨谷渉

さまざまな形のマゾヒズムを追及している作家だが、以前よく描かれた、蹴られるとかそういう物理的なマゾヒズムよりは、最近の作品はよりノーマルな人にも分かるものになってきたような。もちろん、分かるというのは、実感として分かるときうのとは違うのだが。むろん、性にノーマルなんて無いっちゃ無いんだけど、私が書いたのは通俗的な意味に沿っただけで。
今作は、付き合っている女性に、自分よりルックスが良く精力が強い人間をあてがい、自分の魅力の無さ、精力のなさをより実感して、その圧倒的に劣っている自分を歓びにしてしまう。また相手の方の女性も、性的に感じていない自分を主人公に見せることに、サディスティックな歓びを見出しているかのようである。読んでいて、こりゃ究極なものに近いなあ、と思う。性的に全く感じていないことが、大きな快感となってしまうのだから、これ以上のものはなかなか考えられないだろう。究極までいくと快感すら失うのだから、そもそもの目的に反するところまで言っているのだ。
そしてこの作家は、女性の、無頓着あるいは無神経とも言って良い、あえて冷たくしようとしているわけでもない自然な冷たさ、を描くのが非常に上手くて、こういうところは読んでいて、自分にも突き刺さっているようなドキドキした感じを覚える。今作では、相手の女性が別れ話をしようとするまで、に緊張感たっぷり。
左右対称云々も、なるほどそういう美の感じ方もあるんだなあ、と思う。他に、カロリー量や、メニューを詳しく記述したりしてこういう数字への拘りも持つ作家なのだが、この点に関しては、今作においてはあまり必要なかったのかもしれない。逆にいえば、メインのテーマのインパクトが従来より大きかったという事。

『ガマズミ航海』村田沙耶香

性に疎外感を感じる(それをほんとうに自分のものと感じない)若い女性が主人公で、この作家がずっと追い続けているもの。
主人公と、そのパートナーの女性とが試みる全く新しい繋がり方が、逆説的で、傍からみれば中々とんでもない事をやっているのだが、その事よりも私は、主人公が周りの女性と交わす何気ない会話のひとつひとつが好きなのである。たとえばこの作品で言えば、台所でオレンジをむいて、麦茶に入れてしまうシーンの会話のひとつひとつ。ここでは、ちょっと他人行儀を残しつつも自然と上に立っているようなざっくばらんさと、それでも知り合ったばかりという緊張感がうまく同居している。観察力鋭く、また感受性が高い作家であるからこそだろう。
そしてこのような会話を交わせるだけで、もうすでに半分くらいはこの二人はこの二人だけの繋がりを得ているのだ、と思う。

『逆光』荻世いをら

読んで2週間も経っていないのに、殆ど内容を忘れている。短く言ってしまえばそういう小説なのだが、いま、ざっとページめくって、ああ、そうだった中々アイデアのある作品だったなあ、と思い出した。
逆にいうなら、これだけアイデアのある小説なのに、なぜ読んでいるときもそれほど面白く感じず、そして忘却されてしまったか。ひとつの仮定的として、出てくる人物がどれも魅力がない、というのもある。藤原という人物もなんとも中途半端。せっかく登場させてこれだけ?みたいな。夫の浮気相手?とされる高齢の女性が豹変するところなど、本来ドキっとする場面なのだが、なんか作られ感が先行している。
そしてこの妻の内省なのか、憑依した夫の内省なのか、ほんとの所はよく分からないが、死んで気が変になるくらい相手のことを考えていた筈なのに、なぜか家庭での過去の生活で思い起こされることが冷え冷えとした退屈なことばかりで、読んでいるこちらも退屈してしまう。誰もがみんなクールなのだ。完成度はある程度高いのかもしれないが共感度はとても低い。