『カルテ』墨谷渉

さまざまな形のマゾヒズムを追及している作家だが、以前よく描かれた、蹴られるとかそういう物理的なマゾヒズムよりは、最近の作品はよりノーマルな人にも分かるものになってきたような。もちろん、分かるというのは、実感として分かるときうのとは違うのだが。むろん、性にノーマルなんて無いっちゃ無いんだけど、私が書いたのは通俗的な意味に沿っただけで。
今作は、付き合っている女性に、自分よりルックスが良く精力が強い人間をあてがい、自分の魅力の無さ、精力のなさをより実感して、その圧倒的に劣っている自分を歓びにしてしまう。また相手の方の女性も、性的に感じていない自分を主人公に見せることに、サディスティックな歓びを見出しているかのようである。読んでいて、こりゃ究極なものに近いなあ、と思う。性的に全く感じていないことが、大きな快感となってしまうのだから、これ以上のものはなかなか考えられないだろう。究極までいくと快感すら失うのだから、そもそもの目的に反するところまで言っているのだ。
そしてこの作家は、女性の、無頓着あるいは無神経とも言って良い、あえて冷たくしようとしているわけでもない自然な冷たさ、を描くのが非常に上手くて、こういうところは読んでいて、自分にも突き刺さっているようなドキドキした感じを覚える。今作では、相手の女性が別れ話をしようとするまで、に緊張感たっぷり。
左右対称云々も、なるほどそういう美の感じ方もあるんだなあ、と思う。他に、カロリー量や、メニューを詳しく記述したりしてこういう数字への拘りも持つ作家なのだが、この点に関しては、今作においてはあまり必要なかったのかもしれない。逆にいえば、メインのテーマのインパクトが従来より大きかったという事。