『新潮』 2008.3 連載ほか

ふと思ったのですが、文学作品にはギャンブル、とりわけパチンコやスロットの話があまり出てきませんね。
これだけ国民生活に浸透しているというのに。まあ本好きにとっては、あれほど時間の無駄なものはありませんからね。
かく言う私も、スロットには1000円しか使ったことしかありません。10分くらいで終わりましたが。


あ、あと警察官にはパチンコ好きが非常に多いというのは本当でしょうか。


話かわりますが、今月号の侃侃諤諤はあまりひねりがない分面白かったですね。諏訪さんは歌手じゃないよ、というくだりと、そのあとの「さむいね」のタイミングが最高でした。
今日は(も)たいした内容ではありません。

楊逸のエッセイ

あと一歩で芥川賞作家だった楊逸の新潮と群像のエッセイを読んだが、共に面白い。
とくに新潮のほうの、「中華料理」という言葉を大陸にいる中国人家族がどう解釈したか、のあたりが面白い。この言葉に真剣に悩んだ様子がよく出ている。
群像のほうは、中国には神様が沢山いるという話なのだが、それぞれのエッセイで、楊さんが中国に感じる郷愁が、まるでわがもののように感じるくらい伝わってくる。
いったい何なんだろう。
きっと描かれている内容が郷愁を誘う内容であるのと同時に、ヒネリを加えていない文体そのものが懐かしさを出しているのだろうと思う。メタに郷愁なのだ。
それと、それ以上にここで書いておきたいのは、楊逸のエッセイに新鮮さも非常に感じるという事。「書きたいことがある」「伝えたい」という気持ちがとても滲み出ているのだ。
ここ数年、ヘタすると数10年、純文学は、われわれには書きたいことなんてもう無いんだというのが当然の前提と思われてきたわけで、それにあまりにも慣れすぎてしまって、だから新鮮に感じるのだろう。

『太陽を曳く馬』高村 薫

高村が阪神大震災に未だに拘っているのは、そういう情報に疎い私でも最近知るところとなっているのだが、あの年に起ったもうひとつの重大事件にもおそらく高村はまだ関心を抱き続けているのだろう。
その事が非常によくわかる連載である。
前回のサンガのいきなりの解散にも驚いたが、今回のオウム解釈をめぐるやりとりの濃密さといったら!
現実にありえないこの会話の長さと迫力。鹿島田真希の連載とともに、さいきんこういう小説的現実(とでもいったらいいのかな的モノ)にやられてしまっている。
前回の弁護士にしろ、今回の僧侶にしろ、事務局長にしろ、中高年男性のキャラが皆かぶってしまっているように思えるのだが、だからといって全く否定する気にならない。あまりにも高村のオリジナリティが濃厚に出ていて、面白すぎるからである。