楊逸のエッセイ

あと一歩で芥川賞作家だった楊逸の新潮と群像のエッセイを読んだが、共に面白い。
とくに新潮のほうの、「中華料理」という言葉を大陸にいる中国人家族がどう解釈したか、のあたりが面白い。この言葉に真剣に悩んだ様子がよく出ている。
群像のほうは、中国には神様が沢山いるという話なのだが、それぞれのエッセイで、楊さんが中国に感じる郷愁が、まるでわがもののように感じるくらい伝わってくる。
いったい何なんだろう。
きっと描かれている内容が郷愁を誘う内容であるのと同時に、ヒネリを加えていない文体そのものが懐かしさを出しているのだろうと思う。メタに郷愁なのだ。
それと、それ以上にここで書いておきたいのは、楊逸のエッセイに新鮮さも非常に感じるという事。「書きたいことがある」「伝えたい」という気持ちがとても滲み出ているのだ。
ここ数年、ヘタすると数10年、純文学は、われわれには書きたいことなんてもう無いんだというのが当然の前提と思われてきたわけで、それにあまりにも慣れすぎてしまって、だから新鮮に感じるのだろう。