『もし、世界がうすいピンクいろだったら』墨谷渉

力作だなあ。ついにここまで来てしまったか。ただのマゾ男、あるいは数値こだわり男を書くだけの作家とか思っていた私はなんと見る目がないのだろう。今作であきらかに一段一つうえのレベルに到達してしまった。
物語は中堅機械メーカーの中間管理職の男なのだが、会社が傾いて更生段階になってしまう。つまり90%くらい潰れてしまう。しかし男は焦燥するまわりの人間を尻目に、そんな転落を屁とも思わない。ローンも払うのも難しくなりそうで妻が離婚を考え出したりする。でもむしろそれこそ自分が求めていたことだくらいに感じてしまう。ここまではこれまでの墨谷の主人公で、苦難、転落、のっぴきならない状態を、かえってそれが半ば快感であるかのように求めてしまう。このあいだの作品では、正社員をみずから辞めなくてもよかったのに辞めて、契約社員の単純作業に就職しなおすということにまでなったものだ。
しかしこの作品では主人公は会社にとどまる。会社は更生段階で給与も減ったりするが一応出る状態。そこで、むかし知り合いだった女性と彼女が育てている発達障害の子供と出会う。この競争社会でその子供が生きていくことにいったいどんな意味があるのか。
答えははっきりとは見つからない。しかしおぼろげながら分かるのは、その子供によって生かされている人たちがいるのだということ、その限りにおいては、その子が生きていく理由はあるのではないか、ということ。
競争社会で勝ち抜くことになんてなんも意味ないんじゃない、こうなったら積極的に負けて使われる側の人間に、機械のようになってやるというのがこのあいだまでの仮の結論だったとすれば、一歩進んで働くことの意味をその子供に見出そうとしている。すくなくとも五体満足な人間が、虚無に陥らず自分の食い扶持以上の剰余価値を生み出さなければ、その子が生きていくことはぜったいにかなわないのだ。まわりより一歩先んじる人間になったり、というようなビジネス成功本に書かれているようなことが徹底的に無意味だとしても、それでも働くということはまったく意味がないということにはならないんじゃないか・・・・・・。