『ばあば神(連作完結)』村田喜代子

あの日(3/11)とその日から数日のあいだに、ひとりの子持ちのシングルマザーに降りかかった出来事を描写するもので、ど真ん中な震災(体験)小説である。なるほど生き生きした描写はあるので評価はそれほど下げなかったが、体験としては、最大公約数的な多くの人が身に覚えのあるような出来事しか書かれておらず、それが狙いなのだろうが物足りない。それどころか、祖母の戦時体験の記述なども出てきて、大災害や戦争の前に無力なわたしたち、でも懸命に生きていくの、みたいな視点がベースにあって、これじゃあまりに「一般的」すぎはしないか。あるいは美化して作りすぎてはいないか。懸命に生きるのは構わないが、その懸命さが後々買占めを引き起こしたりして、相当醜い相を晒したりもしたんだが、そういう震災に伴う負の描写はこの小説には出てこない。懸命に徒歩でけなげに街道を歩く人々は出てきても、駅やバス停での小競り合いや怒号は出てこない。あったのに。
それと、ここでも村田はしつこく医療用の放射線は善で、原発のは悪と区別したがっている。エッセイではなく小説の主人公が言うんだから多少の間違いや思い込みはあっていいだろ、ということなのかもしれないが、読者が寄り添うようなかたちで造形された主人公にこんなことを言わせてそのまんまというのは、疑問なしとはしない。レントゲンだって毎日浴びれば有害だし、ガンを退治する放射線がガンにしか影響がないのであれば、ピンポイントで照射する高価な機械もいらないだろう。
また、埼玉に帰る人が明治通りを歩くとすれば高田馬場→池袋方向なのに、主人公はその人の流れに沿って池袋→高田馬場へ帰っている。こういうミスは編集者が気づかないものなのか。