『日本文学盛衰史 戦後文学篇 最終回』高橋源一郎

またここでアルバートアイラーかよ、とウンザリする。なんで小説家はこういうときアルバートアイラーなんだろう。たしかに何であんなものが持ち上げられていたんだろうという意味で、アイラーというのは格好の素材なのかもしれないが、他殺説も出ているとか書くとものものしいけど、アイラー自身もその音楽も革命ともあまり関係ない感じの人だし。
それでもここで面白い分析はしている。読む側と書く側には世代的な差があるのにあえてごっちゃにして、受けとる側と差し出す側とが渾然と総体として「戦後」だったというのではないか、という見方だ。たとえば、江藤淳を読んでいた高橋源一郎、ともに戦後だったのだ。ただし、高橋が戦後だったのはその時期だけで、なぜ変節にいたったのかはここでは私には読み取れない。たとえば、吉本がふたつの時代を経験したというのは、非常に大きなことだったことは、山城むつみがこのあいだ書いたことでおぼろげに感じ取れたが、せっかく戦後とポスト戦後を経験している高橋はたんに前者におさらばしているようにしかみえないのはなぜか。