『グッバイ、こおろぎ君。』藤崎和男

まず最初に書いておきたいのは、空間の描写がすごく分かり辛いということ。ひとつ例をあげると、トイレでコオロギを発見して彼がしかしにっちもさっちもいかなかったときなど、どういう体勢なのか、どうして体が動かし辛いのかがつかめない。
また、主人公を「わたし」ではなく「彼」としてあるわりには、視点はほぼ彼からしか描かれず、せっかく、と思っていると、今度はメタな場所から評論めいた文章が出てきたりする。それが、自由なものとしての小説的面白さにぜんぜんつながっておらず、また、主人公を「彼」という対象化された地点からみた客観性でもってズタズタにしたりもしていない。描かれるのは、ほんのりパン屋のおばさんにも恋してしまうプレーンな小市民像でしかなく、そのわりに分量は多くて、ややうんざりさせる。コオロギを追い出さないくせに妻や子供は追い出してしまうんだから、ぜったいどっかもっと過剰なしょーもなさがあっていいはずなんだけれどなあ。つきあいきれない頑迷さみたいなのが。団地住まいでの様々な悩み事に奔走される姿も描いていてたしかに滑稽ではあるけれど、小市民の範疇でしかない。しょーもなさを徹底的に描かないんであれば、たとえばコオロギやそれに関する描写をぐっと減らして、叔父の回顧エピソードに絞っても良かったか。この部分だけは面白く、また真実味があって、ぎゃくにいえば、ここがなければ読みどころは残念ながら殆どない。とにかく、内容に比して長い。