『春寒』馳平啓樹

ついこの間新人賞受賞したひとで短期間でこれだけの作品を書けたのならすごいなあ、と思う。というか、新人賞受賞作よりぜんぜんこちらのほうが主人公の体温というか息遣いが伝わってきて、良いんだが。作者にとってより近い、不可分といってもいいくらい近い人物を描いた小説にも思える。
この間の作品がなんとか就職したものの会社が倒産してしまう男性を描いていて、今回がうまく就職できず弁当屋の配達をやっている男性が主人公。となると、いっけんあざといのかなという気もしてしまうが、三流私立大学出であれば(あるいは文系であれば二流であっても)こういう世界が待ってることは確かだし、それこそその後の人生の大きな部分を左右してしまう重大な事柄でありながらここ数年改善の兆しがないのも確かで、こういう所をしっかり軸に据えていこうという作者の確かな意思を感じさせる。
またもっといえば、前作では主人公がそうというわけではないがアイドルとそれを追っかけるいわゆるオタク的人物がでてきて、今回は主人公は鉄道オタクだ。これも現代の若者風俗を描くという意味ではあまりにジャーナリスティックでストレートで、あざといかなあ、という気も冷静になるとしてしまうのだが、距離感をもって対象として描くというよりはもっと寄り添っていて、私のように鉄道などには屁ほどの興味がない人間でも、ここにはそれなりの、簡単には否定できない生があるなあという気になる。とても生き生きしているのだ。
その生き生きは主人公はもちろんのことそうなのだが、この作品では主人公が愛憎半ば的な想いを寄せる鉄道オタクの女性がとてもよく、奔放でぶっきらぼうでまっすぐかと思えば謎もあって、そのかんじが魅力的で記憶にしっかりのこる。あまりに魅力的なんで、主人公が感じる憎の側面が言葉上でしか伝わってこなかったりもするが。この女性にたいする主人公の、同じ鉄道オタクという間柄で済ませようとする狭い感じとか、そのくせ自分からは感情を面に出せない感じとか、この距離感は、あまり使いたくない言葉だが「草食」なところがとてもよく出ているように思う。
また距離感という意味でより特筆すべきなのは、主人公が、鉄道が多数発着するターミナル駅でのホワイトカラーの通勤客たちを見るまなざしとか、弁当を配達する先の会社で主のようにずぶとくバリバリ働いているOL女性を見るまなざしで、前者への向き合いたくないものを見てしまった感じとか、後者へのどうせならこの人にもっと否定されてしまいたいという倒錯した感じとか、これまで他の小説にはなかったようなリアルさだ。
またけっしてうまい表現などないように思うのに、京都という盆地ならではの寒さ、その空気がしっかり伝わってくるし、凝縮されてほんの一言二言で終わる会話も、方言の効果ともあわせて読んでいて心地よい。会話のこのリズム感はこの小説の特徴のひとつでとても考え抜かれていると思う。小言タオルの小言なども併せ。
つーわけで誉めるべきところ全部これで書いたかな?とりあえず数号連続して読んだ過去の「文學界」のなかではもっとも好感持てる作品だ。あの新人賞作品でここまでは予想できなかった。
ところで、読み終わってしばらく経ったいまとなっては、ローカル線に乗ってみようとかこれっぽっちも思わないのは相変わらずだし(自分で運転するクルマやバイクのほうが面白すぎます)、やれ新型車運行とか、これが最後の特急運行とかに集まりたくなるような人々と話をする事もたぶん今後もないだろうなと思ったりするのだが、それでも、こういう小説があって、たとえそれを読む間だけでも寄り添えるというのは小説マジックだし、なんもなかったより全然良いことだと思う。