『太陽光発言書』モブ・ノリオ

新年号というのにこの号の「すばる」ではこれしか言及する作品がない。ま私が、同時掲載の青来有一というひとの作品をまったく読む気がないからなのだが、この作品だってこれほど短くなかったら読むことはまず無かっただろう。
で内容なのだがこれ小説なんだろうかエッセイなんだろうか、福島での音楽イベントでのこれこそ音楽だみたいな主人公の感想には、ああ「将軍様のお声はやはり違います」というどっかの国のアレと一緒だなとか思いつつ読んでいたのだが(もちろん両者とも本人にとって嘘はない)、奈良で植物が異常な育ち方をしているどうしよう、みたいな壊れてしまったとしか思えない記述を読んでああ小説なんだなあ、と思ったことであった。こういう過剰さは記録としてあっていいかも。もっとも同じ妄想にしても、放射能の影響で何百組ものカップルが堕胎しているか、という妄想はあまりに悪趣味ではあるが。そんなことは、その決断に関与していないあなたが嘆くことじゃないし、出生前検査で異常の可能性ありと医学的にはっきり診断されてもまだ誤診かもしれないとすがるように思う人がいるなかで、放射能に関する主にネットでの流言飛語がもとで堕胎するような人が一体どれほどいるんだろうかってこと。もっとも当時はこの主人公にはそこまでの冷静さがなかっただけなんだろうが、今なら、東京電力やその関連会社に勤めている人や、各地で原発が止められたおかげで経済的な見通しが立たなかった人たちのあいだで生まれることがなかった子供が、こちらはマジで実際いるかもしれないが。
その一方で福島の瓦礫について、汚染を拡散してはいけないというがそれだけでいいのか他へ持っていくべきでは、という頼もしい記述も見られたりする。もちろんこの主人公が言うように東電の首脳だけに瓦礫を押し付けるのは物理的に無理なただの聞き分けのない話にすぎないし、責任は主に彼らかもしれないとしても彼らのみに負わせるのは間違っているが、今後中間貯蔵施設や最終処分地を作るにあたっての基本姿勢としては大いに賛成である。これはたとえば福井で発生した関西電力の使用済み核燃料も京都や奈良で保管・処理すべきだという話にもなってくるだろう。そのとき奈良の植物がどんな状態になるかは果たして想像もつかないが。