『すばる』 2012.1 読切作品ほか

ちなみに、しょうゆ煎餅より塩煎餅のほうが好きです。


欧州危機の話の続きですが、ギリシャ世論調査をして、緊縮財政に反対するという人と、EUに残留したいと思う人がともに多数だった、ということがあったそうで、そんなの両立できるわけないじゃんと思っているほうとしては、なんてギリシャの奴らはずうずうしいんだ、って話になりますが、じっさいのところ、あるいは両立できると思っている人がそこそこいるんじゃないでしょうか。
つまり、彼らは本当のことを知らされていないというか、緊縮財政反対派の、金持ちからもっとぶんどればいいんだ的なムシのいい話を信じ込まされているというか、そういう気がしてなりません。
日本でもわずか数年前には、行政の無駄を省けば財政再建なんて簡単さという寄せ集め集団が選挙で大勝利したわけで、こういう話はどこでも転がっているのです。でも、じゃあ甘いことばかりいう政治家が悪いかというと、全面的には悪くない、どころかむしろ大衆やその具現化されたものであるマスコミのほうが悪いんではないか、と思ったりすることも最近おおいです。
たとえば、昭和13〜15年ごろに、シナからはやく撤退しましょう、という主張をする政治家がいたとして、人気を得たとはとても思えません。甘いことを言う政治家の先には、甘いことを言って欲しい大衆の欲望がつねに先行しているのではないか。その欲望に反してしまっては、どんな事をいっても大衆はなびこうとはしないのではないか。選挙で負けてしまっては政治家というのはどうしようもないわけで、なんの支持も得なくていいなら、正義をただひとりつぶやくだけでいいなら、誰だってできるしなんも意味がないわけで。
もっとも大衆の欲望がこれといってはっきりしないうちに政治家の言葉によって形作られ明確化するということもあるわけで(コイズミの郵政民営化とか)、たぶん、北を向きたがっている大衆にたいして東や西を見ろというのではなく、北北東に進路を取りつついつのまにか北東に向かせることが出来るような政治家がいちばんレベルが高いのでしょう。
つまりは、北を向きたがっているときに、よし皆!北へ行こうというような政治家はダメなんだってことになりますが、それはたとえばミロシェビッチのような人です。とここでようやく話は、先日柴崎友香の小説に言及したさいにすっかり忘れていたユーゴ紛争のドキュメンタリーの話に繋がるのですが、何度でもいいますがあれは傑作で、DVDにおとして本当に良かったと思います。かなり中に入って描いているので、セルビア(親ロシア)=悪、クロアチア他(親ドイツ西欧)=善というのが一方的な世界観なんだなあというのがわかります。まあ歴史的にはセルビア人は我慢を強いられる側だったわけですし、基本的には陣取り合戦ですから。「民族浄化」というふうには言われましたが、セルビア側としては複数にまたがっているセルビア人の居住地域をまとめるのに一所懸命だった、と。だからといってもちろん中間地帯にいる人間を力ずくで「排除」するようなやり方は明らかに非人道的で許しがたいですが、ここで注目したいのは、政府の強力な支援があってさらに黙認されていたとはいえ、先導的な役割を果たしているのが民間人ではないかと思えることです。
ちなみにその後別のドキュメンタリーでも見ましたが、「民族浄化」と呼ばれる行為の多くを西欧諸国によるでっち上げと思っているセルビア人は未だ相当います。もしかしたら政府の積極的な関与がない分資料が少ないというのも関係しているかもしれません。