『タランチュラ』松本圭二

主人公は、自分がなんとしても詩人であることに異様に拘っていて、それがいくども繰り返されて、その拘りの滑稽さが、いまどきこんな人がいるんだというのが面白さなんだ、といわれればそうかもしれないが、いっぽうでこれだけ繰り返されるのだから真剣なところもあるはずなのに、詩人とそうでないものとの違いが今ひとつ伝わってこない。
NYをこの主人公が娘とさまよう所も、娘の主観と行き来するちょっと変わった書き方をしている以外は、そもそも古本を有り難がる習性が私にはまったく無いこととあいまってやや退屈。ただこの小説のハイライトである飼い犬を棄ててまた探しに行くところは、それなりの盛り上がりもあって印象深く読める。
しかしそれでも残るのは、この主人公が以外にお人よしなんだということただそれだけで、詩人なんだということではやはりなかったのである。というか、ペットって飼うのに反対していたような人がいざとなると一番面倒見てしまうというのは、ものすごくそこらへんに、人との交流の少ない私の周りですら転がっているはなしで、格別お人よしですらなく、これは普通の市井の人の生き様だ。