『水の音しかしない』山下澄人

前半のとくに面白くも、かといって読み辛くもない不条理劇を漫然と読んでいると、なんと震災関連でした。人がいなくなって悲しいよという感傷めいたものはなんとなく伝わるが、で何なの?て感じしかしない。
もしかしたらあの日から何かが変わってしまったみたいな言い古されたことを今更いいたいのかと思ったりもするが、たとえば、公園に住むか否かで主人公が内省するくだりの「ちょっとしたおかしみ」の追求が、なんともゼロ年代な近過去な感覚で、どっかの誰かの何かに似てしまっていて、悲しいかな、震災以前から殆ど何も変わっていないのを示してしまっている。
ラストのほうで、どうも津波のなかにあることを書いているかのようなのだが、あれを詩的に表現するってどういうことなんだろう。小説にとっての当事者性というものについて考えさせられた。また、帰宅困難についてもこの小説では書かれているのだが、どうもそれを体験したとも思えないところがあるし。いや体験したかもしれないが、あまたのノンフィクションに全然負けてるし。だから、で、何?となってしまうだけ。