『髪魚』鈴木善徳

比べてしまって恐縮だが同時受賞の宿命と思っていただいて、で読み始めて数ページは、あー非リアリズムかあこれは苦痛かも両方面白いってなかなかないよね、で読み終わったあとは、一作目の印象が少しかすむくらい。
なにしろジジイの人魚だ。こんな中途半端に汚らしいけったいなもんなんで出してきたんだよ、と思いつつ、いつのまにか読むほうにも情が移っている。その生態の描写(つぶやくコトバや、ひとつひとつのしぐさ)が、よくよく考えられているのだろう、すごく面白いのだ。いつのまにか読み進めているのだ。で、人魚専門のペット店だとかも出てきて、登場人物たちのそれらの存在の受け止め方がとても自然で、われわれの現在ときわめて近似しつつ確固としたリアルさをもった世界を築いている。たんじゅんに表現すると「もっともらしい」のだ。そしてきわめて近似しているから、非リアリズムときおりある退屈さや苦痛がまったくない。でこのジジイ人魚が人魚のうちでは希少種という設定で、一瞬これは現代の、介護施設なんかで飼われるように亡くなっていく老人たちのあり方となんか関わりあるのかなと思ったりもしたが、そういう分かりやすい解釈を加えたくない固有な存在感がある。
一方で、主人公(や読む我々)の生を照らし出し対比のもとにおく役割としてはこの人魚は分かりやすすぎる存在ではあるのだが、それは考えればのはなしであって、読むあいだは固有のユーモアが分かりやすさを和らげているようにも思う。このジジイ人魚の永遠の生の浮き沈みのなさから、いまこの一瞬一瞬を生きることの意義を語りそうだが、この小説はそう単純に語っていないように感じる。膨大なあれやこれやが行き来した社会・自然史のなかにいることの意義を主人公にみせたり、不思議さと偶然と奇跡にみちた広大な自然の創造物のなかにあることもみせながら、教訓めいたものはあまり感じない。
そして、このジジイ人魚をうまく利用すれば金儲けができそうになったりもするのだが、主人公は別れることを決意する。しかし、その判断は決然とした凛々しさとは無縁だったりする。金のなる木や永遠であることを放棄して、限界がきちんとある、やがて死んでいく自分の生をしっかりと引き受ける、となればそれは格好いいのだが、そういう単純さはどこか嘘くさい。もちろん、苦労してこそ人生だみたいな道徳ではけっしてない。けっきょく主人公が引き受けたのは、人魚が見せる幻想から少し引き戻った迷いのある場所なのではないか。その安定しない「動」であることを、引き受けると書くと格好よすぎるので、渋々選んだとでもすればいいのだろうが、そこに共感を覚える。そしてこういう共感こそが、ジジイ人魚などよりよほど人を生かすものなんだろうと思う。
あと、ぜひこれは書いておきたいのだが、いつのまにか主人公が幻想のなかにいる描写の移行のさせかたとその内容がとても上手い。