『きんのじ』馳平啓樹

丁寧に書かれているなあ、というのが最初の数ページの印象で、とくに凝った文章はなく頭に内容がすんなり入ってくる。目立たないように気が配られているのだろう。
主人公は大学を出てはみたものの、良い就職先が見つからず、苦労して(というか、既存社員がタイミングよく止める幸運があって)一般職として就職できた会社も傾いてしまい、生産ラインにまで立たされる・・・・・・、親の期待からはどんどんずれていく・・・・・・と書くと、この小説に書かれているのは、まるで計ったかのようなマーケティングされたかのような「就職に苦労する若者像」なのだけれど、こういうところにも丁寧な印象がある。ただし、そこにある点線を丁寧になぞって実線にしたような丁寧さで、ちょっと典型的で想像の範囲内すぎるかなあ、というあまりいい意味での丁寧さとはいえないのだが。
それでもそれは後から振り返ってのことでしかなく、いい意味で言い直しておくと、ああリアルだなあ、同時代がここにはあるなあとは読みながら感じさせて好感度は高かったし、典型的で新鮮味のないものを読み続けさせる事ができるというのは、相当な評価すべき点なんだろうと思う。また良い点を付け加えると、家族をはじめ人物描写が、会話を特筆的に良くて、とくに父親とか若い先輩同僚のキャラ、セリフがいい。こういうところには、典型から外れた面白さがある。定年まで肉体労働を勤め上げた父親の倦怠な安楽さと焦燥した息子の対比という、私がこの小説の中心点であるともっとも思う点についても、しっかり描かれていて、技術的には今後期待していいレベルなのではないか、と思う。主人公の先輩社員がふたたび芝生に現れたところなんかも少し感動してしまった。熱さを描ける人なのだ。
一方で、小説内の大きな要素であるアイドルグループが作り物的すぎるというか、どうもしっくりこない。小説の話を単調にしないという意味での役割はじゅうぶん果たしているのは認めるのだが。メーカーからの出向者を迎えている下請けメーカーがこんなに簡単に潰れるものか、というのもどうなんだろう。金融とか不動産みたいな、継承する技術がないようなところは簡単に清算となるのだが。しいていうなら、独立系の、エンジンの組み立てのような重要な役割をおこなっていない部品メーカーとかだったら簡単にコロリもあるかもしれないのだが、もっと資本を替えて業務継続の可能性を探るようなところが実際ではないのだろうか。他がリアルだとリアルでないところも目立ってしまう。
たとえば、会社がそういう四苦八苦を繰り返すなかで、残るものと切られるものとのあいだにへんな空気がながれたりとか、そういう姿が描かれればという気もするし、主人公の、証としての芝生への執着や、父親が田舎へ帰るようなところの感情の発露はやや単純すぎるかなあ、と思う。がしかし、もしかしたらこれはこちらの側の考えが少し古いのかもしれない。この小説の深刻さの深度の浅さもまたリアルということなのかもしれない。深刻さがもはや空気のようなものになった時代の深刻さというのは、もしかしたら深度をやや失うのかも。