『きなりの雲』石田千

芥川賞候補にまでなってしまった作品が思いのほか面白かったので、その作家が群像に書いたとなればつい期待してしまうのだが、残念な出来。公正にいうなら、出来という言葉で云々するのは間違っているのかもしれないけれど。というのは、会話を地の文のなかに織り込ませてしまっていたり、またその地の文自体が、描写する対象により主人公の性格を反映したかのような、ちょっと変わった言葉使い(敬語体)をしたりしていて、けっこう考えられて作られているからだ。それになにか破綻したとか、あるいはそこまでいかなくてもバランスが変だとかそういうところも無くて、ひとつの世界にはきちんとなっている。オリジナリティも感じられなくもない。
つまりは問題は、その世界がわたしにとっては、魅力が全く感じられないものだ、ということ。もっといえば、毛嫌いしかねないような世界で、ついていけませんでした、はい。
別に毛織物が中心に描かれているから「毛嫌い」といったわけではないが、この小説の世界のヌルさ=「温かさ」は、この小説が温かみを与えてくれる毛織物を扱ったものであるというのとは、無縁ではないだろう。むろん「温かい」というのは、少し侮蔑的に「生温かい」というときの温かいである。
たとえば今時毛糸のセーターなんてものが似合う状況を思い浮かべればまさしく生温かいものではないだろうか。土曜日の朝に郊外の一戸建ての駐車場で、中型の国産エコカーか小型の輸入車にワックスかけながら、翌日のゴルフだかショッピングモールに備えている、パリッとしたブランド物のリジッドジーンズか薄茶色のチノパン履いたこざっぱりした髪形した中年オヤジくらいしか、私にはセーターが似合う状況など思い浮かばない。言うまでもないが、そんなオヤジは文学の外にいる生物である。そもそも値段的にも手入れのしやすさ的にも、ちょっと気候が緩めばスエットかジャージ、寒ければフリース、風が強い日にはポリエステルかダウンのジャケット。冬はもうこれ以外ないだろう。(もっとも最近は節電だからオフィスではシャツの上になんか羽織ったりはするかもしれないし、東北以北の厳寒地では違うかもしれないが。)
と話がそれかかったが、なんというか、ついていけなさのその中心をいえば、隅から隅まで「いいひと」しかいないのが気持ち悪いのである。主人公が勤める手芸やの人間(生徒から経営者)とか主人公が住むアパートの住民のみならず、ダウンしていたときに毎食サンドイッチを買っていた店主とか、果てはアパートの一室に拳銃を複数保管していた人たちまで!
だからこれはもはやひとつのファンタジーみたいなものだと諦めるしかないのだが、拳銃ってさあ人を殺したり傷つけたりする以外の用途はないんだよね。ナイフとは違って。しかもそういう事をやっている集団というのは、たとえば中高生にクスリを流してあげくヤク漬けにして男ならかつあげ女なら売春するしかないような状況に陥らせたりたりするような集団と重なる部分が大きい訳だし、そういうことにまったく思いが行かず、ほのぼのと屋上でゴーヤなんか育ててるなんて、なんじゃそりゃ、って。
なんじゃそりゃってなるの、これって私の小市民的な倫理観が強いってだけの話かなあ。意地悪く言うなら、これだけ主人公のまわりがこれだけ「いいひと」ばかりになるってのが、皆が皆主人公に優しく接するってのが、はからずもいかに主人公が人格者であるかを証明するかのようなものにも思えてきて、すごく嫌なんだけど。結局主人公が愛していた男だって、主人公が何をした覚えもないのに勝手に帰ってきてくれたりもする。さんざん反省はしてみたりするものの、きっと主人公は何も変える必要もないんだよね、そのままで好かれているんだから。悪いのは男。そういえば題名の「生成り」にも、へんに染まらずにそもままでいれば良いのよ、美しいのよ、ということが込められているのかもしれない。そのままのわたし。自然な私。うすっぺらなニューミュージック的世界だなこりゃ。
まあこの男については、唯一食える魚がカツオだなんていってるのを聞いたりするとこりゃダメ男だわ、と確かになるんだけどね。(もしサバとかの青い魚がダメっていうのがあったとしても、カツオなんてカジキマグロあたりと比べて全然クセがあると思うんだけど、なんだろこれ?カジキとかうまく料理すりゃササミと変わらないぜ、ってこれも私の舌が鈍感なだけか。)
カツオはともかく今更CDの路面店をオープンするなんて暴挙にかんしては言うまでもないだろう。ジャンル特化店ならともかくもそんなもの、ABCマートや東京靴流通センターが並んでいる通りで靴屋を始めますというのと大差ない。手芸店なら靴でいえば修理屋みたいな側面があるからユニクロの隣にあろうと競合しないだろうが。
たとえ悪い人と思われようと全力で止めるべき。
結局、いい人しか出てこないような世界というのは、こんなふうにして無茶が放置されたり、誰もが良いところしかみないので、例えば主人公によって浮気されている新潟のご主人の悲しさはネグられていたりするが、そんな、却って皆孤独で不幸せが待ち受けていそうな嫌な世界なんだな、と思ってしまったが、こういう感想に至ることをもしかしたらこのファンタジーが意図していたとしたら、すごく周到だと思う。が、そんな事はまずないだろう。