『うらん亭』黒川創

結果として一番短いこの作品がいちばん読ませるものだった。久しぶりに読んだがこんなに流暢な上手い書き方をする作家だっけという感じである。
一人称として語られる部分と、三人称で、時代を包括する俯瞰的な視点から語る視点が混在していて、最初少し混乱したが、これがこの小説の特徴、面白さのひとつである。なかでもその三人称部分の冒頭で、まだ彼女の胸にペースメーカーが埋め込まれてもいないころの話だ、みたいな語りに上手さと面白さを感じた。かなりしつこく「落差」を感じさせるまで冒頭で「今」が語られるのだ。
題名からも明白だが、原発事故を取り込んだうえでの小説である。かすめる程度だが、しかも話のなかにも実際に原発事故が出てきたりする。その文脈でいうなら、さきほど触れた「落差」は、「変節」と言い換えてもいいだろう。あの事故は、誰か悪者が勝手に起こした事故ではなく、私たちもまちがいなく関わっている。そういうことである。
もちろん「変節」ではあるが、だからといって単純に指弾したりするわけじゃない。そういう調子はこの作品に微塵もない。一方で「今」を肯定的に書いたりはしないが、作者は、きちんと顔を見える形で人物を描いている。われわれのすぐ隣の誰か、いや、というよりわれわれとして描いている。
原発事故に関して文学者が論壇的なことをせっせと言ったり、デモをしたりすることは一向に構わない。文学者だって市民なのだから。が、文学作品というカタチで向き合うとすればこういうものがもっとも優れた答えのひとつだろうと思う。