『ある一日』いしいしんじ

とくにひどいとか引っかかる記述だな、というのは無い。だがしかし退屈極まる。(ってこの表現は、似たようなこと間宮緑作品のときも言ったか。)
まさに題名どおりある一日なんだが、この出来事の量でこの長さはきついです。
ある夫婦−自然分娩での出産を行う妻と、彼女と行動をともにする夫−を描くのだが、とくに中盤〜後半の陣痛から出産までを描く部分は、もうただただ痛いという記述ばかりが中心のの印象で、読み疲れる。具体的な引用まで面倒なのでしないが、まるでそれが痛みの最高潮であるかのような記述のあとに、さらに先があって、さっきまでの大げさな言い方はなんだったんだろうと言う気にさせられ、まあ出産というものはそういうものなのかもしれないが、この長さで付き合うのは私には難しい。
あと感じたのは、ウナギだかハモだか忘れたがそれを食べているときに、それが突然時空を乗り越えて過去のハモだかウナギだかになったりして、まあありえないんだけど、それをありえるとかあえて書くところがなんか文学界に連載中の保坂和志の小説を思わせる。
それとまさに生まれてくる段階の胎児を、さも意思ある存在のように描くところもとくにこれといったひねりもなく、面白くない。まあこれに説得力を感じないというのは、筆者の文章力がどうのというより、私がこういう明らかに理性のないような存在を勝手に解釈して書くのが嫌いだからってのもあるかも。
いしいしんじは初めて読ませて頂いたが、この小説ではキノコの行商だかなんだかが突然消えたりして、リアリズムではなかったんですね。結果としてこれでこの作家が古本ワゴンで100円とかになっていても買わないで済むな、という意味では、こうして色んな作家を登場させる「新潮」に感謝したい。
それにしても、この小説読んでも少しもハモとかまつたけ食いたくならないなあ。湯葉とか千枚漬けみたいのを好むってだけですでに京都に偏見もあるんだけどね。