『昼田とハッコウ』山崎ナオコーラ

佐藤友哉にならえば、連載途中の作品を批評するのは反則だということらしく、それも理がある。よってこの評価で言及することにする。つまり割り引いてこの評価ということだ。
それでも言及したくなるくらい、読んでいて頭にきたのだ。いままでは、ただ漫然と、中華料理屋でテレビを見るごとく、銀行のロビーで週刊誌を眺めるがごとく読んでいたこの作品だが、せっかく初めて心が動いたのに、逆方向だった、と。
だってこの主人公とハッコウ氏の震災をめぐる会話があまりに浅薄なんだもん。いったいどこの誰が、あの震災のとき(それも直後に)、本屋が営業すべきか否か考えたりとか、営業しているかどうか心配したりとか、そんなことしたか、っていうんだ。もはや震災前から半ばどうでもよい存在となっていた(だからこそあちこち潰れている)本屋なんかを、よりにもよってあのときに、気にする人なんているか、って。
またこの小説に出てくる本屋が普段の売り上げの倍になったなんてのも極めて嘘くさいし(そんな本屋が実際あったか?ちなみにブックオフで震災後3割減というのをどこかで見た)、まあそれは普段からこの店の売り上げがやたらと低いとか、この店だけ営業時間短縮ムードに逆らったとかこじつけられるからいいにしても、スーパーマーケットのがらんどうの棚に放心しているおばさんに「こんなときだから本を読んで欲しい」と思う、なんてのは、「余計なお世話」とかそういうんじゃなくて、私には人として壊れているとしか思えない。
いくら本屋の人間だからって、そこまで「本」なの?そこまでおばさんの気持ちに寄り添えない、身になれないないような人間が、本だ?読書だ?いったいそれらは何の為なんだよ、って。
もしこの主人公の考えのいくらかが作者と一致してるなら噴飯ものだし、そうでないなら作者が主人公をバカにしすぎと思われる。