『亜美ちゃんは美人』綿矢りさ

これは面白い。思わず噴出したり声に出してしまうということは無かったが、綿矢りさで笑えてしまうとは。
これには、主人公の視点でずっと物語をすすめながら、「わたし」という語を使わず三人称で記述したことも良かったのかもしれない。ときどき主人公の心情の文章を地の文にそのまま紛れ込ませつつ、区切りでは少し離れたところから主人公をとりまく状況を諧謔味を感じさせるような感じで記述する。だからあまり重たくならない。大きな流れの、あくまで、ひとコマひとコマとしてエピソードを読むことができる。
少し離れたところからと書いたけど、神視点というほど遠くはならず、あくまで主人公の視点から離れるものではない。この"付かず離れず"は、もしかしたら技術的に相当練られているのかもしれないが、読んで感じるのは、自由さである。まあ、そもそもが、小説を書いたことの無い私には技術的にどれほど考えられているかなんて少しも分からないのだが、ようするに、とても伸び伸びした感じを全体から受けたということだ。のっけから笑えるとか書いたが、そればかりでなく、考えさせられるところでは考えさせ、主人公と一緒になって喜べるところではほんわかした気持ちになり、そして、しんみりさせるところではしんみりしてしまう。
殆ど美貌くらいしか取り得のない女性(主人公の友達)が、学生時代のアイドルぶりから、卒業後ガクっと男関係で「落ちる」までを描いた、というふうに内容としては纏められるのだが、現実としてもストーリーとしても本当にありがちでベタなこの内容で、今更ながら読者に考えさせられることができるというのがすごい。いや読みながらまさにどうしたらよいのか考えさせられるのだ主人公とともに。
書ける人にとっては小説の可能性というのはまだまだあるんだなあ、なんて書くと、そこまでたどり着くまでの作者の苦労をしらないかのような暢気な感想で怒られそうだが、素直なところはただ祝福したいのであって、許して欲しい。
で、少しマジメに振り返るなら、この小説の中心にあるのは本当はとんでもない皮肉な状況というか二律相反で、相手(主人公の女友達)のことをより思えば思うほど、第三者の目には彼女に対する残酷な復讐劇に見えてしまうという。わりとシリアスなんである。主人公の友達がとんでもない男と付き合っている、常識的な程度で彼女のことを思うなら別れさせるということになるのだが、主人公はそういう男と付き合うことにその女友達の真実、彼女を生かすもの、を見つけてしまう。しかしほんとうにそれは真実なのか、ココロのどこかで彼女に自分より落ちて欲しいという気持ちがあってそれが作り出した「真実」なんじゃないのか。ずっと彼女より劣ってきた自分の復讐の正当化なんじゃないのか・・・・・・。
これは最後まで100%の解決はみてないように見える。というか現実のわれわれの選択肢に100%ということはない。51対49くらいのなかで、どちらかに歩みだすしかないし、いちど歩みだせばそこにはそれしかなかったということになっていくのだ。思えば、主人公自身の恋愛だって結婚だって、大学でのサークルの決め方だって、そんな感じの歩み方なのだ。
ということを経てきてのこの二人が、だからラストで交わすセリフがより生きてくる。51対49はいつだってめぐってくるが、そうでないところに思いをはせざるをえないのだ。
・・・マジメな感想は以上。
この主人公の女友達、というかもはや親友ともいえるのだが、彼女の熱烈なファンと称する男性が登場して彼のキャラも話もなかなか面白かったのだが、彼女と結婚することになる男性(ヤンキーだなもう広いいみで)の描写が抜群に面白い。やはりこの小説の一番の面白さはここにある。