『不愉快な本の続編』絲山秋子

新潮のこの号の救いがこの作品。地方都市に暮らす若い男性が主人公の話で、そういう部分だけとってみれば「ばかもの」に似たテイストもまったく感じないわけでなく、あの作品から絲山作品にはまりっぱなしの私としては、嬉しさも感じつつ読んだ。と同時に、もっと読んでいたいのに、なぜこの作品があとに続く作品よりも分量が少ないのよ、と不満なども片隅に抱きつつ。
それでもこの分量で終わることも、この作品の重要な一部ではあるだろう。優れた会話の内容とテンポ、小説内で起こる出来事の意外さ、その露呈と展開のスピードなど、すべて連関しているように思うからだ。これらは変わらず絲山作品を特徴付けるところで、近作もそれは変わらず、どころかより研ぎ澄まされている印象すら与える。このへんはいつも同じようなことをここで書いている気がして、作者がどんどん投げかけているのにまるで一箇所にとまっているかのようで心苦しいのだが、いちばんの楽しみどころなので仕方ない。
また、この間絲山のことをつい「群馬作家」などと書いてしまったが、ぜんぜん不正確な言い方だった。この作家は、あまり縁のない群馬というところへ移住までしてそこでそこを書くということで、そのことを媒介にするかのように、他のところも書けるようになっているのだ。主婦の超然でも小田原に触れていたことが真っ先に思い浮かぶが、今作でも呉を中心に新潟や富山など北陸の土地・人間のことも、まさにそこで暮らしている人でしかもてないような視点でもって語られるから、その学習力というか取材力というか肝心のところをえぐる感性には、ほとほと感嘆してしまう。えんえんとゆかりの地しか書かない作家もけっこういて、それはそれでひとつのやり方ではあるけれど、この絲山のワンアンドオンリーさの前には、どうしてもかすんでしまう。次から次へと街や人に関するあれこれが披露されるのだが、それらを楽しみつつ、呉がジェノバと、とかいったいどこから絲山の脳内に来たんだろうと素晴らしさに半ば呆れるくらいだ。
他の読みどころといえば、嘘というかある悪行がばれているかもしれない親戚のおじさんとの緊張感のあるやりとりの場面と、妻になる人間との出会いから別れるまでの顛末かな。とくに後者の図らずも浮気を知ってしまった後の主人公の思い・行動がその落胆のあまりの深さをうまく表現していて胸を打たれた。口八丁でやってきた人間がまったく口をきけなくなるなんてね。それでも胸を打たれるくらい主人公の行動にシンパシーを抱いているのに、裏切った妻にも読んでいて悪感情が起きないというのも不思議なことだ。月並みな言い方だが、ここにきちんと人間がいるからだろう。そして出来事のリアルさが輪をかけている。私にとってのハイライトがここだった。
またこの後も少しばかり物語りは続くのだが、この結婚〜離婚の出来事でもわかるとおり、主人公が自分のことをクズみたいに言うその虚無のうらには、それが裏切られたとき、それまでの能力を全く失わせてしまうような強烈な希望がある。農業関係の仕事について語った来歴などもそうだ。
この物語は、「ばかもの」のような明るさは感じさせずに終わってしまうのだが、終始読者は、それでは一体あなたはいったいどれだけ希望しているというのだ、と問われているようで、いつにも増して重たい作品となっている。