『哲学の起源』柄谷行人

マルクスからカントへいって、今度はギリシアかあ。柄谷のなかではどんどん根源的になっているつもりなのかもしれないが、『世界史の構造』も読んでいない傍の傍からみると後退しているかのような。
副題に「国家や共同体に回収されない」云々とあるので、昨今の、グローバリズムが進展すればするほど「国家」や「民族」というものが露呈し、民族主義者が台頭したりノルウェーで何か起こったりという現状に対しては、いっけんアクチュアルな論考のようにも思えるので暫く読んでみるつもりだが・・・・・・。
今いちばんの世界的な課題といえば、というかそれらは民族・国家問題とも表裏なんだろうけれど、ギリシャのデフォルト騒ぎに代表される南欧諸国の債務問題や、アメリカ国債の問題で、「決済の先送り」がいよいよ決済を迫られている局面といえる気もしている。これらについては、柄谷的にはこんなことは分かっていたことだ、なんだろうし、実際そういう発言もしていたように記憶しているけれど、こんなときにどうせ資本主義なんて破綻するものさと超越した態度とるより、どこかにソフトランディングすることが一番やらなければいけないこと。でも、そういう実務局面で思想家にできることは限定されているのかもしれないしね。
また、いまさら古代ギリシアかよ、っていうこのスピード感も気になったりするし、議論のテンポも第一回でこれしかという程度だが、けど、少なくともグローバリズムの進展によって経済的な補完関係が強化されて大規模な軍事衝突など起こしようがなくなっているのも事実で、いくらあちこちで民族主義政党が台頭しようと一世紀前のようにはそうは簡単にガラガラといかないんじゃないかと。だから性急さこそ慎むべきであって。
と、あーだこうだ一応擁護的にいってみたが、あらためていえば、あんまり面白くはない。