『アマリリスの家』朝比奈あすか

もういいですと思われるかもしれないが、朝比奈氏の作品は事情があって心情的にシカト出来ないのであった。
今回も自立しようと、というか自立と自ら思えるような所をなんとか探そうとひとり奮闘する女性の話。ネイルアーティストをやっていて、そのポジションまであと二息くらいのところ。彼女が、祖母の老人ホーム探しを手伝いに里帰りするところで物語が動き出すのだが、今回はラストのきれいなまとまりが目立つ。このへんは「すばる」向けにチューンした感じなのかもしれないが、チューンアップというより、正直チューンダウンな気も・・・・・・。きれいな終わりなのに、むしろ却ってこれまでの作品よりも希望の色が薄れている気がする。
これまでの作品では、最終的におこる決断や行動の強度が破壊にちかいものがあり、そのせいで自然と光がさしてくるようなところがあったのだが、今回は登場人物の関係が変容するようなことは殆ど無い。主人公の頭痛は直らないままだし、妹の亭主には、当の妹に少しあたる程度だ。
もちろんリアリズムならこちらなのかもしれない。姉妹のツレのことなどちょっと好かん奴だなと思っていても、本人にまで届くようなカタチで文句をいうことなど我々の実生活では殆どありえないだろう。しかし、たんなる現実の鏡でしか小説がないというのもなあ、と少し考えてしまう。また老人ホーム問題も、主人公の気持ちが変わり祖母を一時的に都会に連れてきたのはそれなりの出来事かもしれないが、そもそも田舎まで帰らせる事にまでなったほどの問題への本質的解決とは種類が違う。
ついでにもうひとつ不満をいうと、主人公が分かれた結婚寸前までいった男。せっかく一癖ありそうなところが出ているのだから、どこかでもっと追想などで突っ込んで欲しかった気がする。ここがなんか現実感が薄いのだ。母親、そして祖母、彼女らについては息遣いを感じ取れるような描写となっているだけに惜しいのだ。祖母の「わけの分からなさ」がより人間くささとして説得力を持っているのにくらべて、この男のわけの分からなさは少し作り物っぽい。なぜなんだろう。もしかしたら、昨今の若い人というのは、経済的な事情もあって異性などよりも家族への配慮がさきに立ったりするのかもしれない。そういう理屈もたしかに成り立つ。そういえば最近は「駆け落ち」なんて言葉を耳にすることも少ないのかな。だとすると、この主人公の元恋人の影の薄さ、それは一人称小説だけにイコール主人公の心のなかでの薄さにもなるのだが、それなりの理由がある、ということか。ウーム。
ラスト、きれいな終わりと先ほどいったが、祖母という人物をまるまる総体として肯定する、してあげるその心情にはこころ動かされるものが全く無かったとは言えない。それだけに惜しいものがある。