『ぴんぞろ』戌井昭人

女に逃げられたフリーな物書き的仕事の男が、鄙びた温泉街にいって踊り子やってた若い女性とねんごろになって帰ってくる。・・・・・・
って、滅茶苦茶純文学テンプレートな話やん。
むかしネオアコってのがあったけど、これはネオ純文学なの?ねえそうなの?という感じだ。
ああ、それにしてもネオアコか・・・ペイルファウンテンズ、アズテックカメラ、オレンジジュースよ・・・皆輝かしくデビューして、でも殆どが一発に近い形で消えて、今でも聞くのはEBTGだけだなあ、ってこんな事を書いて文字数を膨らませているかのようだ。
基本線はこんな話の小説だから、それだけで作品になるはずもなく、ぶっちゃけ枝葉をどれだけ膨らませることに成功しているかなんだけど、冒頭から暫く続く下町風情なんかも読みどころなんだろうか。個人的な好みの問題でしかないが買い物目的でかっぱ橋とか御徒町の紫色の店に行くことはあっても基本的に用事のない根津だの入谷だの浅草だのには全く興味がない。もっといえばあの辺りの古き良きなんとかなんて明日なんかの理由であっさり消えたところで殆ど痛み感じないな。もともと多少なりとも行ったり通ったことがあったりして様子をある程度知ってしまって、しかも魅力ないと思っている私のような人間にだから、この部分の評価は難しい。
題名にもなっているチンチロリンの話の部分に関しては、イカサマは一度の成功も、それどころか成功しかかりもせず終わる。あっけなさ過ぎるとおもわれるかもしれないが、これはエンターテインメント小説ではないのでいいの。読みどころは、賭場の仕組みとかだろう。入り口は全く目立たず、ワンクッションおいて押入れ通って本場があるみたいな構造。こういう所が描けるのは、この作家ならではだろう。面白い!というほどでもないが、それなりに貴重。
後半の温泉行きの部分に関しては、花電車パチンコオバサンも、若い女性も存在感はある。が、いかんせん、吹き矢だの火消しだのお習字したりだののアソコ芸に面白みも、また、それをやる人間になんの思い入れもないし、主人公の男までがある芸を試みて失敗する部分などもどういう意図があって書いたのか今ひとつよく分からない。女の子に気に入られたいがためかあるいは話のネタにそこまでやってしまうという虚無感なんだろうか。それがうまく出ているとは思えない。もちろん読んで笑えたりするような面白さはもっと無い。この手の芸や、白黒とか生板とかは20年位前は田舎行けばさんざん行われていたことで、これはこの作家ならではの貴重さとも思えない。
でラストにかけては、これがわりとしんみりよく描かれている。おばさんがああなってしまって、でもむしろ殆どうろたえない事がこの若い娘の生に対する悲しみの深さを物語っている。お母さんなくしているんだよね。で、その後あっさりねんごろになるのは旨い話だなあと思うかどうか・・・・・・まあこの辺はどっちでもいいよね小説としては。
良くないといえば、主人公がなぜかおかめの面にちょっとした興奮を覚えるのかがさっぱり分からない。私が読み取れていないだけならいいのだが、たんなる謎っぽいものを配置しました的な思わせぶりなら評価は下がる。


以下おまけ