『猫の女の子』荻世いをら

まったく申し訳ないが、毎度のことながらこの人の作品にはほとんど全く感想が浮かばない。どこが面白みなのかが、私の無い頭では理解できないようだ。
そもそもの出だしからして全く乗れない。ちょっと変わった女の子が駐輪場にいて、男が声をかけるとホイホイついてきた、と。この都合のよさは80、90年代の小説のテイストだよな。以降、なぜ主人公がそれほどまでにMの言うことをあれこれ解釈を加え心配しようとするのかも分からないし、挿入されるイタリア人の話も面白くも無い。Mという人間自身にも面白みを感じない。それが、「こんな面白い話をMがした」と書くものだから、興ざめが倍加する。
全体としていったい何が書きたいのか。分からないが、一見無意味とも思える語りの過剰さで自己の虚無を塗りこめるみたいなハナシなんだろうか、この主人公のMという人物への思い入れは。しかし実直なリアリズム小説ならまだしも、その種の企みのある小説はセンスによっては退屈さと紙一重なんだなあ、と思う。「おいしい牛乳」とか「前方後円墳」とか書かれてもねえ。
もちろん、この中途半端さ、退屈さも分かった上のこと、全て込み込みのハナシなのさ、と作者は言うだろう。そこそこ多作に作品を発表しているようだし、少なくとも一貫性という意味では、この作品だって瑕疵のある作品ではない。作者は才能のある人なわけで、自覚的でないなんてことがありえるとは思えない。
でも退屈と分かっていたら付き合わないよ。一箇所だけ、リの字になって寝るところは面白いなとも思ったが、この感想を書くために開けたから思い出しただけで、すでに作品として忘却にさらされつつある。