『PK』伊坂幸太郎

伊坂幸太郎の名があるだけで群像の売り上げが少しでも伸びればと思うと、[紙の無駄]にもできません。もどかしいです。
サッカーの話ってだけで私的にはすでに減点。あれ?松波太郎のときはそんな事なかったじゃない?とか言わないように。サッカーだけならまだしも日本代表というだけで私的には終わってるのですわ。(私はこれは本当に掛け値なしに真実を言うが、日本代表のサッカーというのを、ワールドカップはむろん、キリンやら何やら国際試合のほとんどについて、私は全く見ていない。日韓の結果もその前の大会の結果も全く知らない。というかトップニュースになっただろうから一時は知ったかもしれないが、そんな事すぐに忘却している。ナナミとか言うひとが相手に素晴らしいパスをしたこと無かったか?それなら何となく覚えている。)
ここは小説の話を書く所だった。確かに、PK前に二人の選手が何を話したかを色々仮定するところは、売れっ子作家であることが垣間見えるな程度にはさぞ面白げに書かれているが、そもそもPKというルール自体胡散臭くてサッカーに興味もない私が読むと、その手の話も面白く思えなくなるんだなあ。
あと時系列もよく分からない。この小説の現在は2012年らしく、「大臣」は57歳ということになっている。その大臣の子供時代は、例えば12歳の小学生の頃は、ざっと45年前だから、1967年だ。
いっぽうで「作家」は携帯電話の履歴を見たり、大量破壊兵器の心配などをしている。どうみても1967年の話ではない。ここに出てくる「作家」とは「大臣」の弟なのか?
しかしどうも違う。その後「(作家である)君の父親のファンだった」という議員が現れたりして、「作家」は「大臣」の父親であったことは明かされるが、弟もまた作家であったとはどこにも書いて無いし、父親は「このくらいで済むのならよかった」と言いながら死んでいって、明らかに改稿を迫られていたようなのだ。1960年代に携帯電話で編集者に電話? ありえない。
パラレルワールドだといえば許されるのだろうか。ロベルト・バッジョの名前まで出しておいて?
またこれも書いておかねばならないが、「思わせぶりな謎の人物」ってやつがここでも出てくるのだ。古川何某とか宮沢何某の小説でもでも見られたアレですよ。ウィキリークスとか話題になって世の中やっぱり陰謀ですよ、ってのが今のトレンドなの?馬鹿いっちゃいけない。北朝鮮が外国でドカンとやったり、CIAが密かに右派勢力を訓練していたなんてのは、冷戦時代のほうが余程激しかった筈だ。それともこういう謎の人物を出すと深みが出たり、読者をうまく引っ張ることができたりするという思惑なのかな。それにしたって、さも大変なことが起こるぞ的な前振りで、本人が病気で死ぬだけってこのショボさは何なんだ。
まあこういうところはもともとエンタ系の人なので横に措くにしても、基本的なテーマである勇気は伝播するとか、積極思考は良い結果を招くということに関しては、ウーム。たしかにそういう事もあるだろう。しかしそんなのはPHPじゃあるまいし、文学者が今更言うことなんだろうか。たしかに震災と言う危機に際して言葉が必要とされたのは確かな面はあるが、基本逆じゃないのか?
ネコも杓子も「アスリート」が、自分の活躍で「勇気と力を与えたい」とか抜かしているとき、あほくさ、と思えるのが作家ではないのか。
そもそもたかがボール蹴ることがなんで勇気なのかも分からんわ。
たとえば総合格闘技の初期のころは体重の規定がいい加減なことがあって、無差別級的な試合で、体格の明らかに劣るものが向かっていってぼこぼこにされたりという事もあった。無謀といえば無謀だが、これのほうが余程勇気だろう。博多スターレーンでモーリススミスに向かっていった鈴木みのるよ・・・・・・あの時の君は・・・・・・。
そういえばスキーのジャンプなんかは多少勇気がいるかもしれない。風の具合によっては再起不能の大怪我も考えられるだろう。しかし長野オリンピックで「日の丸飛行隊」とやらが優勝して、原田が男泣きして、さんざん国民に勇気を与えたとか言われたものだが、それでオリンピック後、景気が多少なりとも上向いたとか出生率が上昇したとかいう話は皆無だ。残念だったね。