『群像』 2011.5 読切作品ほか

以前手に吹き出物が、という話をしましたが、あれから、からだの他の場所に万が一移ったら厄介だなと思って、寝る前に消毒用せっけんで丹念に手を洗い、消毒用アルコールをすりこんでいたら、みるみる治りました。ともあれ内臓疾患ではなさそうなのですが、でもこんな話を偶然目にして、顔のにきびとかでやらない方がいいですよ、きっと。アルコールの刺激で悪化するかもです。


しかしあのフィル・ジャクソンの(コービーの、とは言わない)レイカーズをヨンタコしたチームがそのままファイナルで勝つのは当たり前といったら当たり前なんですかね。
ブルズは残念でした。
しかしサンダーのデュラントはすごい逸材ですね。怪我なくいけば末恐ろしい感じがする選手です。


今シーズンは春の東京開催が終わったらなんと中山もう一回なんですと。とこの時点でなんの話か分からない人は以下読まないでください。
競馬復帰しては撤退してその都度思い返すことがあります。それは、続けられる程度に当てるためには相当な時間が必要なことです。予想の時間?それもそうですが、ではありません。反省のための時間です。競馬で多くの人が必要以上にスってしまうのは、反省をしないからです。というか、当たらなかったことを悪夢として忘れようとするから、です。一日終わったら競馬新聞を捨ててしまう人でそこそこ当てている人は、余程の記憶力か勘の良さを持っているんでしょう。もっとも第六感とかそういうオカルトは信じませんので、つまり勘は経験=記憶の賜物と思っているので、結局同じことなのですが。
なんでこの馬を買わずにあの馬を買ったのか、結論が出るまで考え続け、そして記憶するのです。
そして普通に働いて、家事などもしているとそんな時間はありませんよ、と。


ついでに。第六感を信じないと書きはしましたが、以前こんなことがありました。いつもならある程度自信をもって買い目を決める(そしてはずす)のですが、そのレースだけは違いました。どの馬を軸にしてレース展開を考えてもなんかしっくり来ない。何を選んでもピンと来ない。中心馬を選べないのです。で、これは荒れるかもという期待で5、6番人気の馬に結局絞り、自信無いながらも買いましたが、締め切った直後自分の中で、この答えは全く間違っている!お前間違っているぞ!という声が響きました。
そんな事はそれまであまり無かったように思います。
で結果は、有力馬がしかけどころをミスったのかゴール前で総崩れになり、自分が買った馬は全く見せ場すら無く、勝つ気があったとは思えない馬=最低人気に近い馬がバタバタと追い込んでゴールしてしまったのです。JRA史上最高配当に出くわした瞬間です。
レース直後あれほど静まり返った観客というものに、それまでもそれからも出会っていません。あれを異様な静けさと言うのでしょうか。