『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集』宮沢章夫

冒頭から躓く。「高校では運動部には入らず、音楽のサークルに加わってバンドをやるのはからだを動かすことだが、とはいってもたいした運動ではなかった」って何だ?音楽サークルに入ったことは前後から分かるけど、この文章はそれを確定できていない。ただしくは、「高校では運動部には入らず音楽のサークルに加わったが、バンドで体を動かすといってもたいした運動ではなかった」だろう。その後の「けれど、」もちっとも繋がらないし。
と、こういう読み辛くて変な点を挙げれば沢山挙げられそうだが、いちいち付箋もメモもしていない。ただ、ひとつ大きなところを挙げれば、「たしかな証拠はない。誰も火をつけたお前のことを見ていたわけじゃないさ。ただ、逆にいうと、火をつけていないおまえのことを誰も見ていなかったってことでもあるよな」のところでは、(そんなバカな「逆にいえば」があるか)と脳味噌が揺れて読み続けるのを断念しそうになったよ。なんだこの雑な小説はって。
で、いちいちメモってないという理由のほかに細かい文句を言わないのは、遥かに大きな不合理がそこここにあって、細かいことを挙げるのも徒労に思えるからだ。
例えば、LOY BBNADという名前を客に言われてネットで検索しないのは何で、とか。その謎の男に会ったのが夢か現実か分からないといっておきながら男が残したメモという物証を探そうとしないのはなぜか、とか、東口の紀伊国屋避けて渋谷に行くくらいだったら南口の高島屋の隣の紀伊国屋行けばいいのにそういう話が一言も出ないのはなんで、とか。
他にも身長190センチにもなる人間が足から血を流して去っていくのを警察の人間に見られていてなぜ捜索の網にかからないとか、スーパーで献立をいう人間に関しても長身の人間であれば事前にそういう話もでるだろうから自分がそれだったかと思うことはないだろうし、足をケガして何日も部屋から出なかった人間がアルバイトの若い男に走り勝ったり、いきなり小宮山という男についてサトルの方が知っているかのような記述が出たり、外の天気が分からないといってみたり部屋に日が差し込んでいたり、おかしなことばかり。しかし何より、そもそも忌避すべき理由のないサトルが火事の現場に行こうとしないのはなんでなんだろう。女の電話にあれほど興奮していたくせに。
たぶんこういうの、確信犯的にやっているのだろう。素人でもわかってしまうような不合理だもの。だからこういう所に文句をつければつけるほど、作者の術中にはまるという事にもなる。「へんてこなしょうせつ」として記憶に刻まれてしまう。
御免蒙る。
外側から色々実験的なことをやるのは構わない。しかしそれはまともなものも書けるという裏づけ、あるいはそういう片鱗がどこか小説内に感じられなければ、ドレミも吹けない人間が前衛ジャズをやるようなものだ。あるいはひとつの逃避、言い訳。
ビンラディンも長身だったようだし、ディランの歌詞にも中東のことが出てきたり、何がほんとうのことか知らないが昔の女の台詞があったりとか、いろいろ思わせぶりな事をばら撒いて読者にあれこれ組み立ててほしいのかもしれないが、土台がなっていなければそういう事をする気も全く起きない。
今はただ、読んだことすら忘れたい。
(ちなみに久しぶりの[紙の無駄]だが、この作品をただ[オモロない]にしてしまっては、余りにも他の、例えば新潮に載った作品で言えば古川日出男とかよしもとばななに失礼なので、そうした。)