『カラジッチと三島由紀夫』三輪太郎

日本では有名ではないかもしれないが、国際的にはユーゴ(ボスニア)紛争で有名なカラジッチが文学に造詣が深いとはこれを読むまで知らなかったが、あまり驚かない。
ところで、むかしユーゴ紛争に関するドキュメンタリー(計6時間くらい)を見た記憶があるが、印象に残っているのは国連の監視軍の無力さと、ミロシェビッチとツジマンのそれぞれの人物像で、カラジッチはわりとただの頭の良い人という感じ。ツジマンはいかにも悪そうなんだがこれは旧クロアチア=ウスタシャ=ナチスというイメージでついクロアチアを見てしまいがちな所によるが、ミロシェビッチという人は裏表のないホント良い人って感じで、先鋭的なセルビア民族主義者と国際協調主義との板ばさみにいつも悩んでいた感じなんだよね。カラジッチ自身もイスラム系住民虐殺の犯人ぽくなっているけど、ボスニアセルビア人のなかで一番強硬というわけでもなかったような。
ユーゴ紛争というと、ユーゴ=大国=大セルビア主義は大きいから抑圧的で悪、クロアチアボスニア=小国で小さい抵抗勢力だから善というふうについつい見がちなんだけど。
しかし未だにトルコがアルメニア虐殺を認めないがごとくボスニアでの虐殺に関して否認主義って残っているみたい。日本でも南京認めない人もいるしね。わたしが興味深いなと思うのは、ルワンダでもダルフールでもそうだけど、こういうジェノサイドといわれる動きを先導するのってたいてい民衆(民兵)なんだよな、ってところ。積極的に追認・支援する政府もあるけど、その民兵組織を抑え込むと自分たちの地位が怪しくなるという消極的追認もおおいにあるんじゃないか。日本が南京攻略したときだって軍主導だったし、国内ではもう大歓迎・大万歳だったわけで。
いやだからカラジッチは捕まって可哀想とかそういうことが言いたいわけではないんだが。