『時雨のように』古井由吉

名も無き一組の男女。交わされる会話と記憶。顔の記憶。表情。音。とおくで囁く声。と、まあいつもながらの古井作品です。
その日その日をおのずからただ生きて、測るはせいぜい一ヵ月後くらい、そしてふと今をみるとその場所が、想像どおりであるような、全く違ったものであるような、そんな嘆息とも諦念ともつかない様子がいつもながら感じられる。
この作品では、でてくる男女がそれぞれ同性の姉弟を亡くしているところに特徴がある。全く他人なのにしかし中に自分が少しあるようなそんな存在、同性の姉妹兄弟ってのは変な存在だよな、と思う。こんな境界線上な存在は他になく、持とうと思っても親の力がなければいかんともしがたく、それを考えれば貴重な存在なんだろうけど、まったそんなふうに感じないし、感じたくもない。
で、この作品のようにいなくなって、なにかに気付く。まったく、大事な事はなんでこうやって遅れてくるんだ。