『おかもんめら』木村友祐

すばるのこの号で唯一「読めた」小説。
たしかに善悪がはっきりし過ぎていて、こんなはっきりとした悪役がいるようなもの文学として良いのか、という所はある。この小説は、自然=善、開発=悪あるいは、田舎=善、都市=悪あるいは、庶民=善、大企業=悪、である。分かりやすくて、かつ悪く言ってしまえばアナクロな認識を前提としている。そして最早私たちは、世の中がそんなに単純なものではないのを知っている。どこにもはっきりとした悪役がいないことを知っている。はっきりいってしまえば、公害は大企業が起こすと同時に、大企業を「通じて」私たちが起こしているという事も知っている。チッソの生産する化学品は、多くの企業が必要としていたのだ。
しかし、それでも、誰も悪役がいなくても邪悪な意思など無くても世界は汚されていくし、対する私たちは邪悪な意思があるわけではないことをしっているから、それに対してシニカルになってしまっている。シニカルになることに慣れてさえいる。
たぶん、今回の原発事故のようなものがなければ、もっと評価は低かったかもしれない。
いくら現実が複雑だからといって、小説が必ずそれに則さなければいけないのか。たとえ、現実の運動のなかで複雑さに出会っていくらか減衰されてしまうとしても、燃料を燃やし続けるプロテストの意思をどこかに持ち続けるべきではないのか。そのプロテストのための単純さをまとった小説があっても良いのではないか。今回そんなふうに反省的に考えさせられた。
また、この小説家の作品に出てくる人物には、みな生き生きとした人間くささがある。また東京湾の描写も良い。