『フィクションの倫理』平野啓一郎

エッセイであるがなかなか読ませる。
どんなフィクションでも結局はネタとしてシニカルに消費しているだけ、という論に対してはっきりNOと言っているのは潔い。人は勧善懲悪の物語を消費することによってカタルシスを得るだろうが、排出しきれないものは残るのだ、と。こんどは、現実が物語のように勧善懲悪されないことに、自覚するかしないかは別としてフラストレーションを溜め込むだろう、と。
例えばごく一部の楽天的なポルノ規制反対論者の論にNOと言ってしまっている訳だけれども、総合的に商売している出版社との関係上、こういう言わなくても良いことはあまり言わない作家は多いと思う。しかし、言わなくても、私が信頼している作家は、平野と同様の倫理をきちんと持っているだろうと思う。少なくとも文学の世界においては、「作品は作品ですから」なんて人はそう居まい。