『筋肉のほとりで』荻世いをら

何が書きたいのか、理解不能
物理的な「力」が必要とされていないような時代に、筋肉を鍛えるといういっけん無意味な行為に没入してしまう様が、実存を奪われた現代の若者らしい、などと無理やりな感想を述べることが全く出来ないわけではないけれども。しかしそれならそれで、没入の程度も中途半端な感じ。
また、ボディビルというのは運動神経や反射神経とは全く関係のない世界なので、登場人物がケンカまで強くなるのは?で、この面ですら一貫していない。格闘技小説だったの?みたいな。(ちなみにプロボクサーや格闘技の世界で強い人には、ボディビルダーみたいな筋肉だらけの人はいない。ボクサーの腕ってそんな太くないでしょ?)
今の日本の音楽に文句をつけるところは、作者が顔を出しているのかな? 音楽にたいする認識はまさしくその通りだとは思うけれど、どんなに音楽に比べて文学ってのは鍛えられた言葉の世界だと言ってみたところで、こうも詰まらなくてはねえ・・・・・・。せっかくボディビルという外部を導入したのなら、もっとトコトンやって欲しい気がします。