『第三紀層の魚』田中慎弥

これまで読んだこの作家の作品のなかではベストの出来。しかし同時に、田中慎弥らしさも若干希薄。つまり、そういう事だ。田中慎弥らしさというものにオリジナリティは認めつつも、結局好きではないんだな、と。らしさが希薄になれば評価しちゃうわけだから。
すばるという媒体が良い方向に作用した面があるのかどうか、延々一人語りをするとか、非リアリズム空間を現出させるとかの前衛っぽいしかけはなく、言ってみれば普通の小説。良い言い方をするなら、普通の小説を書こうと思えばここまで出来てしまう力量のある人なのだ。とくに家族のあいだの微妙な関係を捉える感覚は鋭いと言っても良いかもしれない。後半の畳み掛ける描写にも迫力を感じたものだ。
難点をいえば、わずかに残る田中慎弥らしいところ、勲章への拘りとかの部分。以前も女性三代の(宗教を絡ませた)歴史みたいな作品があったけれど、どうにも田中氏自身にも消化し切れていないものを無理やり作品に取り込んだ感じが否めない。そりゃそんな簡単に消化できるわけがないんだが、だとしたら、こういうものが無い小説を書いてみたらどうなんだろうか。なんとか前世代の声を聞き取りたいというのも誠実さなのだろうし、あえて「戦争」をこういうリアリティの無さに晒してしまうのも正直さなのだろうが、聞き取れないならば書かなくても良いのではないか、とも思ったりする。
例えば、戦争体験を聞く立場にたったとき、ええ、ええ、分かります分かります、とやられたら話す方は話す気を無くすに違いないのだ。戦争に言及するなら、やるならやるで徹底した方が、たとえば歴史小説書くとかまでして、純文学以外の所から突っ込まれてしまうぐらいの事をした方が良いのでは、と思ったりもする。でも難しいなこの問題は。一概ではない。