『北極を想う日−雪の練習生第三部−』多和田葉子

一部二部はなんとも得体のしれない感じだったが、人間に育てられたシロクマが人の心を持つばかりではなく、人として振舞うようになるそんな話のようである。つまりはシロクマが新聞読んだりパーティに平気で出たりするのだが、前半で二人の人間が小熊を育てる部分のリアリズムがいつのまにかそんなふうになったりして、なんとも小説というのは自由なものだなあと、心の風通しを良くしてくれる作品であり、他にあまりない、出あう事のなかった小説である。つまりはワンアンドオンリー。シロクマ視点から人間社会に文明批評的に言及するその内容もなかなか面白かったが、面白さはそれだけではなかった。
もちろんこういう小説があるからって、文明というか政治から人間が逃れることのできる筈などこれっぽっちもない。しかしどこかでそれらを相対化できるものがないと生きていけない、というのは大げさだが、相対化や超越を求めてしまうのが近代(的自我)である。それがどこかで「」つきの自由でしかないと分かっていても、同時に、全くの自由を感じたり信じたりする事ができるというのは凄いことだと思う。