『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』西村賢太

新潮のこの号でここで言及するのは、新人賞2作とこの作品だけ。長野まゆみは最近新潮に載った某大思想家の娘の書くものより遥かにクレバーな作品で面白いのだが、言及する手がかりの無いようなやはり純文学なのかな?と思う作品だし、多和田葉子は流石に読ませて、これはこれで充分にひとつの作品足りえているんだけど、こういうテーマならそれこそシロクマだのではなくリアリズムで読みたい気がしたり、いや、シロクマの視点だからこそ面白いんだけどねえ。藤沢周中上紀は小品すぎ。
で、西村作品なんだが、彼の作品が露悪的に思えるのって、たぶん彼が私小説宣言を高らかにしちゃっているせいもあるのではないか。小説的現実として読めばやはり面白い。文章だって、上手さを感じさせずに内容が伝わってくる上手さがある。しかも独特の語り口で、ひとつのスタイルができつつある。言わば西村的世界を築きつつあるのだ。私小説だが、下手な非リアリズムよりも現実を微妙に構築しなおしている、作り変えていると、私には思える。
まあ、女性との暮らしがなくなったぶん、露悪が限界にきて小さくなってより感情移入がしやすくなっている分もあるんだけどね。