『ののの』太田靖久

ちらっとこのブログで触れた記憶があるが、新潮新人賞らしい作品、というか。ええ、誉め言葉ではありません。
甲乙つけがたいから二作同時受賞というのが通常の感覚ではないかと思うのだが、私の中での甲乙は鮮明である。
ある過去の事件についての語りから入る導入部は決して悪くない。しかし登場人物が現れ会話をしだすと、純文学ごっこ、が始まる。仰々しくて、格好つけたのかのようにみえて少しも格好よくない感嘆を覚えない台詞めいた台詞。まるで田舎のあんちゃんねえちゃんが伊勢丹のブランド品をまとって、さっそうと歩いているかのようだ。もちろん田舎の人にとっては充分格好よいんだろうね。VUのファーストアルバムなんかも言及されるが、サブカルとして余りにもベタなこの作品もそのベタゆえに意識的に用いているとも思えない。こういう所が象徴的。
で、主人公は、身勝手な暇つぶしとしか思えないやり方で、電話セールスに誘われたフリをして、セールスレディを騙したりする。まあ、こういうヒネた青年の一人や二人いても良いだろう。しかし、その語られ方は一方的で、鈍感だ。まるで自分が良いことでもしているかのようだが、そういう仕事に手を染めざるをえない女性の視点というものがどこにもない。電話セールスなんて、殆どがクソみたいな仕事だ。しかし、そこに関わらざるをえない人が、人でないという事はないだろう。ブラック会社に勤める人間を主人公にした羽田圭介の作品みたいなものだってあるのが、今なのであって、そういう危うい場所にいるのだ私らは。
そんなこんななので、申し訳ないが、後半で作者がしかけた主人公が移動したかのような人物が出てきても、それを読み解こうという気には全くならないのだった。一番のクライマックスなんだろうけどね、ここが。何が一番書きたかった事なのか、そこに触れようともしないのは失礼な話なんだが。
というか読み解くだけの人物がいただろうかという話だ。始まりから終わりまで、私には一人の人物の存在しか感じ取れない。複数の人物を登場させているのに、声が複数ではないのだ。まるでその欠点を覆うかのように、大我だの小我だの非リアリズムが用いられているような気もしたりするんだよなあ。
「意味のないことを言ったんだ」「だからって何の意味もないということにはならない」みたいな、思わせぶりで、本当に意味のない台詞を書いて読者を呆れさせる前に、リアリズムで、リアルな台詞で小説を書いてみたら良いと思う。こんな台詞をしゃべる人に出会ったことないでしょ、誰も。
楽譜も読めず、楽理も知らず、アドリブをかませられるような天才はチャーリーパーカーくらいなのだ。今活躍しているジャズミュージシャンの多くは、音楽学校で基礎からみっちりやる。みっちりやったうちの一握りがデビューする。
多少フォローしておくと、本筋から外れたところで、面白い視点だなと感じさせる箇所が全く無かったわけではない事を一応書いておく。