『ほにゃららサラダ』舞城王太郎

美大の女子学生が主人公。いつもの舞城的文体ではあるが、超常現象的なものもなく出来事のはちゃめちゃさも控えめ。
出てくる芸術論とかも20年くらい前、いやもう40年位前の学生の間で交わされていてもおかしくない様な感じを抱く。ああ何時の世の若者も変わらないんだな、というような。
それは、2つの事をしめしている。こういう文体でも近代的自我というものを描写しうるんだよ、というのと同時に、新しい文体にみえてもそれほど新しい自我を生むわけではないということ。舞城文体の懐の深さと同時に、ちょっと描写を抑えてしまえば、限界も見えてしまうかのようだった。
限界というと良くない言い方のようだけどそんな事はなくて、パーティ会場での写真撮影というちょっとスノッブな出来事と、故郷の雪の中での兄との写真撮影とのストイックさが対照的で、後者の出来事をより強く読者に印象付けるのに成功している。兄の、妹の頼みならやるぜ、とは決して言わないけどやってしまう寡黙さが、それをより引き立てている。ひとつの会話描写で、ふたつもみっつもその人物のことが飛び込んでくるような近代小説の良い部分はふんだんに持っている。