『幻影のゆくえ』大城立裕

題名にまでなっている所の、主人公の母親が沖縄戦の激戦で気が振れてしまい、何かを超能力のように幻視してしまう、という要素をせっかく導入しているが、それは小説の中心になっていないように感じる。
いっぽう娼宿の女性達を登場させた事は話に変化を与えているが、やはり戦場そのものの描写、たとえば切羽詰ったなかで醜く出てくる争いごとなどの部分のリアリズムの迫力には勝てないように思う。そういう所は丁寧に描かれており興味深く読まされてしまう。たとえば、洞窟や墓を誰が占有するのか、地元の人優先なのか、誰が何を理由にそういうことを決めるのか。結局は兵士たちがくれば、彼らが一番優先されてしまうのだが、当時の日本では兵士とは尊敬の的なんだから、横柄に振舞ってしまうのも仕方がないというべきなのか。彼ら兵士達の周りにいる民間人が自分の故郷の人だったらどうなんだろうと思わずにはいられないのだけれど。
小説読みとしては残念なのではあるが、かつて皇軍兵士だった人のはじめから物語もなにも意図されていない独白とかたまにBSで放送したりするが、今まで読んだ沖縄を描いた小説でああいうものに勝てるなと思ったものは無い。ただの独白に過ぎないのだが、ただの事実というわけではない。不条理としての圧倒的な事実なのだ。弾に当たったのが自分ではなく彼や彼女である事に理由が見出せずに苦しんでいる人が多い。つまり物語化ができない。物語化して消化することが。その点この小説では、ときに死ぬべき人が死んだような印象が若干ながらあり、それに違和を感じたことは否定できないように思う。