『鉄道、そして文学へ』川本三郎

やっとこの連載も終わりかと喜んだら15回も続いてたんだねえ。よくまあいろんな通俗小説とか映画をチェックしているなあ、というのは感心したけれども、それ以上のものはない。
端的にいって、昔の映画・文学作品に、昔主要な交通手段であった鉄道が出てくるのは当然の話であって、「心情」云々なんて関係ないから。ほらここにもあそこにも鉄道が出てくる、だから鉄道は特別なものなんだよ、と言いたげだけど、そんな事ないから。近代の作品にとってそうだというだけで。鉄道は近代にとって主要な交通手段であるという以上に、当時の技術の先端でもありましたから、そりゃ特別でしょう、近代にとってはね。
現代の作品となると、自動車で別れるシーンが印象的な映画作品なんて(とくにアメリカなんかでは)腐るほどあるだろうし、飛行機が遠距離の主要な手段となってからは、空港ロビーやエスカレーターが別れの印象的なシーンとして描かれることはドラマにも映画にも無数にあって、けっしてそこに詩情が無いわけではない。汽車だから詩情が宿るなんて事は思い過ごし。
そういえば以前、新幹線をバックに山下達郎なんて流れてたけれども。あの新幹線に詩情を感じないのは、たんに世代が違うという以上の事はない。