『ドナドナ不要論』舞城王太郎

一行目がまず素晴らしい。ノックアウト。
いつもこの作家を読むときにしていることだが、深読みせずに、今回は「人の物事の感じ方の落差」からくるディスコミュニケーションの、そこで生じる様の可笑しさを、ただただ面白いと思って読む。とくに主人公の妻が謎の電話を残し自らをガンであると告白するまでが秀逸だ。
他にこの作品ならではのところといえば、主人公が義母と平気で軽口を言い合える間柄であることで、彼ら二人の会話も面白い。新しい小説言語と、年長者とのこれまでにないような新しい関係とが、うまく二人三脚して現出している。こういう関係を築いている実際の義母・娘婿関係が実際にあるかどうかは知らない。ただ、こういう関係があってもおかしくないと思わせる事ができるだけの言語−小説空間を築いているという事なのだ。そして純文学でこんな試みが見られるのは、この作家の作品以外にはない。
だがしかし、必ずしも軽い言葉のように人間関係が「軽く」なってきたという訳ではない。保守的でベタな部分をこの作家はけっこう持っているんじゃないかと私は思っていて、例えば、この義母の軽さは、妹が自殺してしまっているという体験を通過したものであることがきちんと匂わされている。これ以上はないという悲しみを体験したものには、それ相当の感じ方があるし、彼女にとっては軽口こそが処方箋なのだろう。
ただポップなだけではない、現実をきちんと飲み込んだ上でのずらしなのであって、そうでなければ新しい小説言語の創造の意義は随分と減ってしまうにちがいない。