『どんぐり姉妹』よしもとばなな

最近なんかバッシングされたみたいでネットでは人気がなさそうなので「紙の無駄」とか言わないでおく。
ここにあるのは、なんて私達はかわいそうな境遇なんでしょうみたいなナルシズムと、それでも「働き者」だから自分の力で切り開きましたみたいな役に立たないプライドと。で、結局、自分についてあれこれ言わないでくれる老人とか、居心地のいい人のそばにいると幸せ、みたいな所に落ち着いたり・・・・・・。(なにしろその老人を何と!野生動物に例えるくらいだから、自分の都合しか考えていないのだ)
いやいや。そんなのは別に放っておけばいいわけで、許してもいいんじゃないかというくらいまさに勝手にすればという気持ちにも読んでいてなるのだが、オカルトめいた記述についていけない。出来事というのはこうやって繋がって最終的にはうまく運んでるんだみたいな電波めいた話には。何なのそれ、という。
駄目な文学というより、ここにはむしろ文学と対極のものがあるんじゃないかと思う。分かりやすくいえば、こんな小説を読むくらいだったらゲームでもやってるほんがなんぼかマシじゃないかという。私は親しい人が本屋で手に取っていたら、タレント本でも薦めるね。(というのは言いすぎだけど。タレント本なんか読んだことないし)
きっと、宗教めいた確信とか、自己肯定を疑うのが文学だと思ってる私はきっと保守的なんだろう。よしもとばななが最先端の純文学なんだろう。
そしていくらちょっと足りない感じの人物が主人公とはいえ、「ほんとうの〜」とか「素晴らしいひと」みたいな直接的でクソ単純な記述に出会うと、ああ自分が普段読んでいる、よしもとばなな以外の小説がいかにこういう部分に気を配って書かれているか、が分かる。(自分がそういう小説家の営みを、ときどきいとも簡単に否定していることに反省すらしたくなる)
何が「本当」なのかとか、どこが素晴らしいとかを、そういう直接的な記述で済ませずに労を尽くすのが文学なんじゃないかと思う私はきっと保守的で、よしもとばななこそが最先端なんだろう、きっと。
皮肉だ、もちろん。