『市民薄暮』諏訪哲史

新潮で書いている作品は、いつも何かこれまでと違うことをやろうとしていて、それだけで好感もてる。面白い面白くないというレベルで、成功しているとは言いがたいときもあるのだけれども。
書くという行為、作者という存在。それらを当然のものとして受け入れることが出来ずに、それでも書く、その苦闘として、いつも読んでいるのだが、救いは、その苦闘のなかに遊び心的な部分が、少なからず存在していること。真摯でないのは困るというか問題外だが、真摯過ぎるのも困る。