『来福の家』温又柔

漢字というものがある程度まで共有されながら、しかしその発音がそれぞれの国でまるで違う。また、簡体字の大陸と、昔ながらの旧漢字の台湾、両者の中間のような日本の漢字の違い。たしかに、それらの現象は面白いのだが、この作品の読後に感じるのは、その面白さがエピソード的に連ねられていたなあ、というだけのもの。物足りない。とくに姉の結婚相手の物分りの良さが過ぎるような気もして、それならば、母国語というものに拘るという事にときに疑問を覚えるような人物が小説内にいてもよかったと思う。近代人というのは、自らに対してメタに立ちながら、つまり半々で生きているのだから。