『乾燥腕』鶴川健吉

小説としていえば、どちらかといえばツライというか、読み進めることがそれほど苦ではないにしても、読みながら面白いという感じが訪れることが少なかった。何といえばいいのか、「動き」が無さ過ぎるといったらいいのだろうか。いくら話しに動きがなかろうと、広がりを感じさせれば少しは良かったのかもしれないが。
こんな文句をいっても小説自体が主題的に身近なものを追っているのだから仕方がない面はあるのだが、といっても、ミクロなものから広がりを感じさせることも可能といえば可能かも知れず、やはり描かれていることが余りに我々の近似にあって驚きが少ないという事になるのだろうか。
醜い姿形の小動物や、わが身から出る汚物など、昨今の若い女性が徹底してこの世からデオドラントしてしまおうとしていることを繰り返し描くのはいいのだが、それも徹底しているとは思えず、嫌悪の感情を喚起してこない。このあたり物足りなさばかりが残った。それと主人公が幾度も苛々してしまう事も、そこへ至る説得力の弱さも感じ、気になった。結局のところ、なんでそんなにイライラなの、という。
等々言いつつも、これ以上この作品の悪口を控えたくなるのは、この作品には一定の倫理的なものを感じるから。自殺を止めたところでも、自殺の道具を捨てたことでもない。たとえば、小説終盤近くで、藁人形が他者否定から自己否定へと移ったとき、どちらでも良かったという投げやりに到達しつつ、同時にそれが苦しいという所。生半可な言葉だけの自己否定とは異なる到達点に達しているかのような迫力があり、なかなか考えさせられた。「死」に近くなると、強烈さも失うというくだりなども。
ほか、主人公がせっかく就職した会社でロクな仕事がないといったあたり、現実にいまそんな会社は少ないだろうと思うものの、「会社」なんてものに真にやるべきものがあるのかというひとつの批評として成立しているとも言え、面白かった。従来の小説ならそこはリアリズム寄りに描写して、会社というものの人間疎外を炙り出すといったものになりがちなだけに。
細かいところでは、主人公が自慰をなかば義務的に遂行しようとしたりするところは分かるなあと思ったし、風俗嬢の反応もなかなか読ませた。
なんだかこう書くと結構面白く感じてるじゃんか、となるが、この作品が先々記憶に残ってるかとなると不安の方が大きいしなあ。うーむ。