『家路』朝吹真理子

早速朝吹真理子に書かせてしまうとは、さすが群像。しかしこの小説の冒頭を読んでいると、磯崎憲一郎を思い出してしまうなあ。固有名詞の欠き方とか、おそろしく長い時間軸で自我を解体させてしまう感じとか。でもけっして悪い意味ではないし、模倣という気配は全くない。ただ思い出してしまったというだけ。
夏が何度も訪れてしまうところは、何度読んでも面白い。文章の構成がリズミカルに考え抜かれていて、この作家は恐ろしく言葉に意識的な人という感じがする。
オチまできちんとつけてみせる。